プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★新たな道標(後編):同行二人

2019-09-19 08:05:42 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、若い頃から、日本各地の神社仏閣や外国の教会を訪ね歩いたが、それは観光名所としてであり、信仰の対象としてとらえたことはなかった。

 ところが、58歳の時、旅行先のブタペストで倒れ、死線をさまよって以来、私は特異な死生観と予知能力を持つようになった。正確を期せば、予知能力というよりも幻覚や妄想に近いものだが、良い方は外れるが、悪い予感は、かなり、的中する。

 さて、後期高齢者になってからは、従来と異なる感慨を持って、寺社に参拝するようになった。自分でもその理由が分からないが、死期が近づいた予感が心理的に作用しているのかもしれない。

 76歳を機に、「般若心経」を学び始めたので、小豆島のレース後に訪ねる1番札所霊山寺で、お遍路さんと一緒に読経出来れば有難いと思っている。(^^♪