電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
( シュヴァイツァー )

道をひらく 《 絶対の確信――松下幸之助 》

2024-10-23 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
  すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
  のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
  る。深い喜びも生まれてくる。
  [ 松下幸之助翁 ]


確信ありげに見えても、ほんとうは手さぐりの人生で、まことにつつましやかなものである。たよりないといえばたよりないかもしれないが、持てもしない絶対の確信に酔うよりも、この心がまえで謙虚(けんきょ)に歩むほうが、われも他人(ひと)も傷つくことが少なくて、結局は最良の道になるのではなかろうか。


◆絶対の確信

『道をひらく』
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p128 )

この世の中、この人生、人はすべからく絶対の確信を持って力強く歩むべしといわれる。それはまことにそうだけれども、よく考えてみれば、この人の世に、絶対の確信などあり得るはずがない。持ち得るはずがない。

刻々(こくこく)に変わりゆくこの世の中、あすをも知れぬ人の世で、神か仏かでないかぎり、絶対にまちがいのない道など、ほんとうはないのである。だからこそ、おたがいに過(あやま)ち少なく歩むために、あれこれと思い悩み、精いっぱいに考える。その果てに、どうにもほかに道がなさそうで、だからこの道がいちばんよさそうで、そう考えて、それでもまだ心もとないけれども、心もとないままではしかたがないから、そこに勇気をふるって歩みつづけるのである。みずから励まし励まし歩みつづけるのである。

確信ありげに見えても、ほんとうは手さぐりの人生で、まことにつつましやかなものである。たよりないといえばたよりないかもしれないが、持てもしない絶対の確信に酔うよりも、この心がまえで謙虚(けんきょ)に歩むほうが、われも他人(ひと)も傷つくことが少なくて、結局は最良の道になるのではなかろうか。
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