植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

バルト三国

2007年05月24日 17時41分10秒 | 国:北欧
 天皇陛下が始めバルト三国を訪問されるのと、バルト三国のラトビアの事を書いているブログからトラフィックバックが張られましたので、折角ですので今日はバルト三国の歴史です。
 バルト三国とは、バルト海に面するエストニア、ラトビア、リトアニアで、いずれもソ連解体の折に独立した国です。また、過去、第一次大戦の頃にもロシア革命により、帝政ロシアが崩壊したときにも一時的に独立しています。
 このように同じ近代史を経過している為、似たような国に思われがちですが、やはり1国として独立せずに、3国になっただけあり、中世は各々別の歴史を歩んでいます。

 まず、一番北のエストニアは、フィンランド湾の対岸にあるフィンランド、これを支配したスウェーデンの影響を強く受けています。他の2カ国と異なり、エストニア語だけ、フィンランド語と同じ分類のウラル語です。
 エストニア民族は、13世紀頃からドイツ騎士団・ハンザ同盟の支配を受けますが、バルト海の覇権がデンマークのカルマル同盟から、スウェーデンに移ると、16世紀中頃からスウェーデン領として支配されます。しかし、そのスウェーデンが、1711年大北方戦争に負けると、以後はロシアの支配を受けることになります。

 真ん中のラトビアは、同じく13世紀頃からドイツ騎士団(リヴォニア帯剣騎士団)の東方殖民により、ドイツ人の支配を受けます。北のエストニアがバルト帝国と言われるまでに大国化したスウェーデンの支配を受け、南のリトアニアがポーランドに吸収合併され巨大なポーランド=リトアニア王国が出来ると、南部リヴォニアはポーランドに併合されますが、北部のドイツ人はクールラント公国を建国し、スウェーデンとポーランド両国の緩衝国として18世紀まで存続し続けます。
 しかし、北のエストニアがロシア領になり、南のリトアニア(ポーランド)もロシア領になると、ロシアと婚姻関係を結んでいたクールラント公国はそのままロシアに吸収されてしまいます。

 最後、一番南のリトアニアのみ13世紀のドイツ騎士団の侵攻に対抗し、部族をまとめリトアニア大公国を建国します。その後もドイツ騎士団の侵攻に悩ませられますが、南のポーランドと同盟を結ぶことで撃退し、さらには現在のウクライナまでその版図を広げます。
 しかし、15世紀になるとそのポーランドと婚姻により国家連合が成立し、ポーランド・リトアニア連合王国となりますが、1413年にはリトアニアは自治権を失い、ポーランドに併合されてしまいます。
 そのポーランドが18世紀に分割されるとリトアニア一帯はロシア支配下に置かれてしまいます。

 以上、3国とも18世紀のロシアの拡張政策によって帝政ロシアの支配下に置かれてしまい、独立にはロシア・ソ連の崩壊を待たねばなりませんでした。

両陛下、21日に出発 欧州5カ国を歴訪(朝日新聞) - goo ニュース

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-05-25 16:40:53
戦争を考えるために、小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。

ここが考えるスタートだと思う。
ありがとうございます! (千夜)
2007-05-25 23:43:46
ここでは戦争の是非については論じませんが、過去の歴史から皆さんが考える機会に是非なればと思っています。

そういう点で、作品の紹介ありがとうございました。

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