ケニアの島に中国の古銭が発見されたと言うニュースです。
ケニアの島とはマンダ島で、中国の古銭とは明時代の永楽通宝です。
http://news.goo.ne.jp/photo/jiji/world/jiji-0014237803.html
ニュースでは、「大航海時代より前に中国と東アフリカの間で交易関係があったことが…」とまで書かれていますが、これだけでは何ともですね。。。
実は、明の時代の1405年から1433年にかけて、述べ7回にわたって鄭和と言う人物が、明皇帝の命を受けて大航海を行っています。
最初は、ベトナムやインドネシアと言った東南アジア、そこからタイやセイロン、そして4回目の航海でついにはアラビア海までたどり着きます。
このアラビア海にたどり着いたのは大きな成果です。
当時のアラビア半島のイスラム王国は、紅海やソマリアからケニア・タンザニアまでの東アフリカまでの航路を持っていました。
ここの協力を得られたのでしょうか、5回目の航海では、ラスール朝イスラムの首都のあるアデンまで航海し、そこから別働隊を東アフリカに派遣して、ケニアまで到達し、動物のキリンを捕獲して、中国に持ち帰っています。
ケニアのマンダ島はその航路でもありますので、恒常的な交易で残された古銭ではなく、この鄭和艦隊の別働隊が残したものではないかと考えられます。
明は基本的に海禁政策(いわゆる鎖国ですね)を取っているため、この航海以外で朝貢国との貿易は行っていませんでしたから。
それでも遠く中国の古銭がケニアで見つかると言うのは夢が膨らむ話です。
ケニアの島とはマンダ島で、中国の古銭とは明時代の永楽通宝です。
http://news.goo.ne.jp/photo/jiji/world/jiji-0014237803.html
ニュースでは、「大航海時代より前に中国と東アフリカの間で交易関係があったことが…」とまで書かれていますが、これだけでは何ともですね。。。
実は、明の時代の1405年から1433年にかけて、述べ7回にわたって鄭和と言う人物が、明皇帝の命を受けて大航海を行っています。
最初は、ベトナムやインドネシアと言った東南アジア、そこからタイやセイロン、そして4回目の航海でついにはアラビア海までたどり着きます。
このアラビア海にたどり着いたのは大きな成果です。
当時のアラビア半島のイスラム王国は、紅海やソマリアからケニア・タンザニアまでの東アフリカまでの航路を持っていました。
ここの協力を得られたのでしょうか、5回目の航海では、ラスール朝イスラムの首都のあるアデンまで航海し、そこから別働隊を東アフリカに派遣して、ケニアまで到達し、動物のキリンを捕獲して、中国に持ち帰っています。
ケニアのマンダ島はその航路でもありますので、恒常的な交易で残された古銭ではなく、この鄭和艦隊の別働隊が残したものではないかと考えられます。
明は基本的に海禁政策(いわゆる鎖国ですね)を取っているため、この航海以外で朝貢国との貿易は行っていませんでしたから。
それでも遠く中国の古銭がケニアで見つかると言うのは夢が膨らむ話です。
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