植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:辛評/辛ピ

2011年03月09日 23時10分26秒 | ゲームシステム
そろそろマキが入ってきました。画像は後載せサクサクです。(苦笑)

【辛評】
所属:袁紹→袁譚
年齢:約35歳(200年の時)

 豫州潁川郡の出身袁紹と同郷で、袁紹が冀州を得た頃に仕えたとされます。しかし、辛評の記述が出てくるのは、袁紹の死後からで、長男の袁譚を支援していた事から、もしかしたら袁譚の参謀として一緒に青州に赴任していたのかもしれません。勝手な想像ですが辛評が袁譚の従軍参謀、辛ピは平原を統治、王脩が北海を統治です(青州の主要都市は平原と北海)。
 袁譚と袁尚の後継者争いでは、郭図と共に袁尚への先制攻撃を進言しますが、敗戦してしまい逆に追い詰められます。この後、郭図は曹操への降伏を袁譚に勧めて、その使者に辛評の弟 辛ピが立ちますが、以後 辛評の記述は一切なくなりますので、袁尚の反撃を受けた際に戦死したと考えるべきでしょう。

 記述がかなり少ない辛評ですが、袁尚の反撃を受けた際に袁譚や郭図やが生き残る中、戦死したのであれば前線に出ていた可能性が高く(そこそこ)戦える軍師なのかもしれません。ひとまず統率・武力は2、政治は弟の辛ピが後に魏で大政治家となっていることから政治家家系であると考え3、知力は郭図同様の進言をしていたことから3と。弟の辛ピがそこそこ良いキャラなのに使えないキャラになってしまいました。
 某ゲームでは、統率は3程度となり、かなり戦える軍師扱いにされています。

△× 統率2/武力2/政治3/知力3


【辛ピ】
所属:袁紹→袁譚
年齢:約29歳(200年の時)

 辛評の弟で、兄と共に袁紹に仕えた後、その後の後継者争いでも袁譚に組します。演義では青州平原の令とありますので、袁譚と共に青州統治を任されていたと思われます。袁譚が袁尚の攻撃により窮地に立たされると、郭図の進言により曹操に降伏することになり、その使者に抜擢されます。曹操は袁譚の降伏を喜び、その支援を約束しますが数日すると心変わりし、引き続き袁譚と袁尚を争わせようと考え出します。この心変わりを読み取った辛ピは同郷の郭嘉に頼み曹操との面会の機会を貰い、堂々と袁譚を支援する利を説いた為、曹操に袁譚を支援させることに成功します。しかし、その後、袁譚は曹操と盟約違反を理由に滅ぼされてしまいます。以後は曹操に仕えます。
 曹洪の下弁攻略では、曹休とともに補佐役として従軍したり、また曹真の江陵攻略の際も軍師として従軍するなどしています。もっとも辛ピの活躍を示したものとしては、諸葛亮の北伐の際です。総司令官の司馬懿は守備に徹することで勝利を得ようと考えていたものの、諸葛亮の度重なる挑発により交戦を望む将兵を抑えきれずにいました。そこに辛ピが到着し、司馬懿の意思を汲み取ると、将兵の意見に従って交戦しようとするふりをする司馬懿の前に進み出て、魏帝は守備に徹しろと言うご命令だと言い、将兵を押しとどめさせました。これによって最後の北伐は失敗に終わります。
 これ以外でも、文帝が冀州の民を移動させようとした際、ちょうど蝗害が発生していた為、多くの家臣が反対を思いつつも言い出せないでいた中、率先的に反対を述べたり、呉への出兵を行おうとした際も、兵の疲労があるので止めるように進言するなど、適切な献策を行っています。

 統率は、軍に従軍した軍師と言うことで最低の2、武力はさすがに戦えないと判断し1、政治と知力では軍師としての献策が多かったことから、知力を4として政治を3としました。

△× 統率2/武力1/政治3/知力4
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サクサク三国志:郭図 | トップ | サクサク三国志:王脩 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゲームシステム」カテゴリの最新記事