週末、猿ヶ京温泉に行ってきましたので、その関連の歴史ネタです。猿ヶ京の地名の由来には以下のものがあります。
上杉謙信が越後から関東攻めの為に三国峠を越えてこの辺りにやって来た時のお話です。その夜、謙信は飲酒し、気持ちよく眠りについたところでなんとも奇妙な夢を見ました。宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に落ちてしまうという夢です。戦の直前にいやな夢を見たと家来の兼続に言うと、「片っ端から関八州を手中にするという、縁起の良い夢でございます」とのこと。その日はちょうど唐申の年、申の月、申の日、そしてなんと謙信の生まれ年も申年だったことから、「この地を申ヶ今日と改めるぞ」と、謙信が言って、それが訛って『猿ヶ京』になったと。
上杉謙信に直江兼続ですか…(^_^;) 人気のある武将の組み合わせですね。確かに直江家は上杉家の家老なのですが、兼続と謙信とでは年齢差がありすぎです。時代設定に無理がありますよ。謙信が10万もの大軍を持って小田原城まで攻めたのは、1560年 兼続が生まれた年です。一番最後に謙信が北条と戦ったのは1574年なのでこの時なら兼続14歳です。しかし、兼続が参加していたとは…
一番可能性が高いのは、兼続が上杉景勝の小姓だったと言われていることです。1566年に景勝が関東出兵の際に初陣を果たしています。その際にもし兼続が本当に小姓で同行していたなら…、あ、でも 兼続 6歳か…。
うーむ、なかなか難しいですね。。。
旅行自体は楽しんできました。温泉は勿論、豆腐懐石に、あといろいろと手作り体験をしてきました。
上杉謙信が越後から関東攻めの為に三国峠を越えてこの辺りにやって来た時のお話です。その夜、謙信は飲酒し、気持ちよく眠りについたところでなんとも奇妙な夢を見ました。宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に落ちてしまうという夢です。戦の直前にいやな夢を見たと家来の兼続に言うと、「片っ端から関八州を手中にするという、縁起の良い夢でございます」とのこと。その日はちょうど唐申の年、申の月、申の日、そしてなんと謙信の生まれ年も申年だったことから、「この地を申ヶ今日と改めるぞ」と、謙信が言って、それが訛って『猿ヶ京』になったと。
上杉謙信に直江兼続ですか…(^_^;) 人気のある武将の組み合わせですね。確かに直江家は上杉家の家老なのですが、兼続と謙信とでは年齢差がありすぎです。時代設定に無理がありますよ。謙信が10万もの大軍を持って小田原城まで攻めたのは、1560年 兼続が生まれた年です。一番最後に謙信が北条と戦ったのは1574年なのでこの時なら兼続14歳です。しかし、兼続が参加していたとは…
一番可能性が高いのは、兼続が上杉景勝の小姓だったと言われていることです。1566年に景勝が関東出兵の際に初陣を果たしています。その際にもし兼続が本当に小姓で同行していたなら…、あ、でも 兼続 6歳か…。
うーむ、なかなか難しいですね。。。
旅行自体は楽しんできました。温泉は勿論、豆腐懐石に、あといろいろと手作り体験をしてきました。
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