植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ブルガリア帝国

2008年01月05日 23時52分59秒 | 国:オスマン・イスラム
 という事で前回に絡み、やはりブルガリアの歴史です。
 ブルガリアは、7世紀後半に中央アジアからテュルク系遊牧民であるブルガール人が今のブルガリアに進出し、東ローマ帝国との戦いに勝利することで、支配を認められ国を建国します。ブルガール人は元々ブルガリアに居たスラブ人と混血し、今のブルガリア人となります。
 前のブログで、皇帝位は東西ローマ帝国分の2つしか無いと書きましたが、例外的にブルガリアはシメオン1世の代に最大版図を成し遂げ、ルーマニアの南半分から、マケドニア、ギリシャの北半分まで支配下に起きます。さらにに東ローマ帝国を打ち破ったことで、東ローマ帝国を脅迫し、913年コンスタンティノポリス総主教ニコラオスから戴冠※1を受けたことで、以来、皇帝(ツァーリ)※2を称することになります。
 その後、ブルガリア帝国は東ローマ帝国の反撃にあい、1018年にブルガリア皇帝サムイルが戦死し滅亡します。

 その後東ローマ帝国が圧制を行った為、1187年に反乱がおきアセン1世が第二次ブルガリア皇帝に即位します。
 しかし、第二次ブルガリア帝国は、モンゴル軍の侵略・属国化を受け、その後もセルビア王国との抗争、そして南からオスマン帝国の侵略にあい1396年に併合されてしまいます。

 再びブルガリアが独立するのは、1853年のクリミア戦争、1877年の露土戦争にロシアに加担することで、ロシアの支援の元1878年に大ブルガリア公国が建国されますが、ブルガリアを通したロシアのエーゲ海進出を危惧した列強の妨害により、ブルガリアは北部のみにトルコ領内の自治州に格下げされました。
 完全に独立を果たすのは1909年になります。その後、二度のバルカン戦争と、世界大戦を行い、戦後は親ソ連路線により王政から社会主義へと切り替わり、ベルリンの壁崩壊後、民主主義になります。


※1:正式な戴冠ではなくニコラオスの典礼用の頭飾りが用いられました。また、その後東ローマ軍が体性を立て直した為、東ローマ側はブルガリアとの一連の取り決めを無視したため、ブルガリアの皇帝位は自称とする場合もあります。

※2:それまでブルガリアの君主は中央アジアの王らしく、ハーン(トルコ語ならハン)の古形であるガガンを名乗っていました。戴冠の後は、東ローマで使用されているギリシャ語の皇帝位バシレウス、そしてブルガリア語のツァール(ツァーリ)を称します。

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2 コメント

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些事ですが (たかゆ)
2008-01-08 12:51:24
 ドナウ・ブルガールの君主号は「ハーン」ではなく「ハン」か「カガン」じゃないかな、と。
 念のため概説書としては一番新しい部類になる山川の各国史(1998,バルカン史)を参照したところ「カン(ハン)」となっとりました。
 些事ながらご参考までに。
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勉強になります (千夜)
2008-01-10 09:42:49
ブルガリアは時代が古いので、カガンのようですね。これを現トルコ語(ブルガリアも含む?)では、ハンとなり、ブルガリア帝国をブルガール・ハン国とも言うのですね。
ハーンはモンゴル語圏やペルシア語圏で、場合によってはハンより1つ上の扱いの場合もあるみたいですね。
モンゴル語、ペルシア語、テュルク語、漢語、トルコ語などいろいろな国で、ハーン、ハン、カーン、カン、カアン、汗などと呼ばれており、モンゴルではカン<カアンと言う地位の差をつけたり、それがどちらも現モンゴル語ではハーンとなるので、カアンの方を大ハーンとしたりと複雑みたいです。
(これらをさらに日本語のカタカナ表記で語っているところに無理があるのですが・・・)

うーむ。面白い・・・
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