泣くのはいやだ、笑っちゃおう 「ひょうたん島」航海記 武井博 アルテスパブリッシング
1964年4月に放送を開始、それから5年間続いた人形劇『ひょっこりひょうたん島』。
「泣くのはいやだ、笑っちゃおう」の歌は、なんども歌った。
無責任政治家「ドン・ガバチョ」藤村有弘、「海賊トラヒゲ」熊倉一雄、そして「博士」の中山千夏。
当時20代だったプロデューサーの記録。
----------------- 目次 緑字は千恵子メモ --------------------------------
はじめに──”光探し“の集団
第1部 ひょうたん島前史
23 井上ひさしって、20代の頃から暴力夫だったんだ こういう奴に偉そうに教育とか語ってほしくないな そういえば、わたくし「子どもにつたえる日本国憲法」の抜粋を、組合の大会で朗読したこともあったなあ もう彼の本は読みたくないぞ
第2部 ひょうたん島の誕生
64 海賊トラヒゲ、いちばん好き お前のものは俺のもの!俺のものは俺のもの!
第3部 ひょうたん島、大海原へ
118 インターナショナリズムは、自分たちが生き延びていく生命線 いえてる とても先見の明がある
120 ノーカット、ノー編集 綱渡りの収録 そうか、その緊張感か
第4部 ひょうたん島スピリットは永遠に
190 元ギャングのダンティは、ひょうたん島では保安官になる 悪しき過去でさえ活用される いいなー
192 福島瑞穂弁護士が参議院議員になるまえに、義弟・浅石紘爾弁護士宅で逢う 「ひょうたん島から民主主義を学んだ」と
193 「博士」の中山千夏も、ひょうたん島をやってなかったら政治のほうには進まなかったと
197 片親か両親のいない家庭で育った人たちによって作られていた そうなんだー
209 青島幸男 こいつが出なければ参議院議員になることもなく、都知事になって皆に迷惑をかけなくてすんだのに
211 中山千夏って歌も絵も上手 すごいなあと思った その後のテレビ番組「お荷物小荷物」もね ファンになっちゃった 社会人になって初めての海外旅行は千夏さんの「中国ノート」を元に出かけたよ 彼女の参院選応援団で、東京拘置所そばに行ったこともあった 手配師「風の旅団」から急に連絡を受けて、死刑廃止を訴える大道寺ちはる候補者とともに雑民党から参院選東京地方区にでたのも影響うけてるかも 警察国家は嫌だ 家宅捜索なんかに負けないぞ 「泣く子も笑うガサ子ちゃん」て主題曲と対応してると、いま気づいた
216 「芸能人の帽子 アナログTV時代のタレントと芸能記事」 千夏ちゃんだ これも読む詠む
第5部 それぞれのひょうたん島
238 「三等郵便局」舌禍で突然終了 おかしいぞ 最終回で著者は何回も、めまい
250 最終回 みんなで投票 仲間(ダンディ)を国際警察に引き渡さない いいぞ!
終章 あとがきに代えて