2017年8月5日(土) 6日(日) 16時30分から20時まで(カラオケ、ステージ演奏は17時過ぎから)
2017山谷夏祭り
場所:山谷玉姫公園(台東区清川2-13-18)。最寄り駅は南千住駅(つくばエキスプレス、JR常磐線、日比谷線)
中川五郎は5日に出演。MASAも土曜らしい。ジンタらムータも。これ、いく。
8月6日(日)蟹座 岡大介。
「誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は,祖父母を殺害したのか」 山寺香 ポプラ社
国選弁護人をしていた松山馨弁護士フエイスブックで知った、毎日新聞記者のルポルタージュ。
殺人というのは大罪だが、少年は被害者の17年間、ずっと辛い日々を続けていた「居所不明児」。
「誰かに助けてもらいたいと思ったことはなかった。毎日をどう生きていくか、目の前のことだけ考えるので精一杯だった。自分が母と妹の生活を何とかしなければと必死だった」
恐ろしいことが、たくさん書いてある。一番に怖かったのは、母親が「しつけ」の名目で少年に、妹をトイレに閉じ込めたり蹴りをいれさせる。幼児が泣くと少年をとがめ(るふりをして)、幼児を抱き寄せるというのだ。優しい少年は誰にも言えない罪悪感を抱えこむ。マインドコントロールする鬼母。共依存の縛り。
少年や著者の思いは、子どもが虐待されないようになること。そのためにどうしたらよいかの模索が書いてある。
第1章 幼少期
第2章 祖父母殺害まで
第3章 祖父母殺害から逮捕まで
第4章 裁判
第5章 少年の手記
第6章 裁判後
第7章 事件が映し出したもの
第8章 貧困・虐待と少年犯罪
毎年、夏になると「えー、こんなに暑くて大丈夫か」という気持ちになる、学習力のないわたしだ。
日頃は肌のために石鹸の使用は控えていたのだが、毎日というか朝晩とも石鹸を使うようになってしまった。
そこで、オリーブオイルと月桂樹の油で作った石鹸。
シリア内戦の激化でアレッポも戦火に包まれた。移転前のをベルクで買った。
アレッポの石鹸製法は、四千年伝わる伝統製法。職人が口に含んで味を確めながら丹精込めて作り上げるんだと。二年間自然乾燥、熟成。
600円のうち500円が募金になる。アッサラーム
「女子と貧困 乗り越え、助け合うために」 雨宮処凛 かもがわ出版
衝撃的な言葉から始まる。
>「先っぽだけ入れさせて」
> この言葉は、6月16日に出版される私の新刊『女子と貧困 乗り越え、助け合うために』(かもがわ出版)の前書きの一番最初の一文だ。
> どういうことかというと、物書きデビューした20代の頃、ある小さな出版社の社長から会うたびに言われていた言葉である。つまり、ヤラせろ、ということだ。
------------------ 目次 緑字は千恵子メモ -------------------------------
1 子ども時代の貧困、原発事故による自主避難の困難さ 加緒理さん 痛い
2 最低賃金1500円を求めるAEQUITAS(エキタス)の藤川里恵さん
3 生活保護世帯でも大学に進学して学びたい ミカさんの闘い
4 キャバ嬢たちによる労働組合・キャバクラユニオンの7年間の闘い 感動する
5 育児ハラスメントで降格に次ぐ降格 シングルマザーの冴子さん
6 育休第1号となったが、嫌がらせで退職、会社を提訴した由紀江さん
7 この国のシングルマザーたちと歩み続ける赤石千衣子さん
8 夫のギャンブル、自己破産、離婚、2人の子どもを育てる由貴子さん
「明日をください アスベスト公害と患者・家族の記録」 今井明( 写真・文) アットワークス
新宿ベルク副店長の迫川尚子さんの、お父さん。格好いいエレベーター職人が中皮腫で亡くなったと知り、呆然となった。
問題だとは思っていたが、そうか、あちこちにあるんだなあと。そして、これからも。
58 JRでは禁句 組合つぶしにも使う
64 クボタ・ショック ショックだ
---------- 目次 --------------------
労働災害からアスベスト公害
第1章 国を相手にアスベスト訴訟
米海軍横須賀基地石綿じん肺訴訟
第2章 造船と基地の街・横須賀のアスベスト
第3章 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会
第4章 証言を始めたアスベスト被害者
第5章 証言●クボタ・ショック
第6章 クボタ・ショックから石綿健康被害救済新法
第7章 アスベストQ&A
Bunkamuraの交差点を見下したとこ、おしゃれな場所らしい。----- 以下 転載
極限芸術 〜死刑囚は描く〜
2017.07.29 Sat - 09.03 Sun
水木金土 14:00~21:00
日月 11: 00~18:00 火 定休日
渋谷 アツコ・バルー
入場料 ¥500
パラレルワールドから
ここにご覧に入れるのは、ほとんど全員がいわゆる素人で、手紙を書くための普通の文房具で描いたものだ。
何百 枚もの中でエネルギー発信力の激しいものを選別した。もちろん、もう一つの括りはある。全員、重大な理由、また、嫌疑により家族や社会から隔離された人達だ。人は皆、自分と他人、社会の関わりの中で人生を編んでいく。絵画の面白さはダイコンを描こうが富士山を描こうが本人と他者との関わり合いがあぶり出されてくる事だ。
それは言葉では説明できない何か、でも確実に感じられるものだ。関係を遮断されても彼等は胸の中で社会を見続け、生きている証拠を発信し続ける。確実に、薄っぺらな紙の向こう側にだれかが居る。まるでパラレルワールドからの誘いのように。
昨年、クシノテラスが開いた『極限芸術 2 ~死刑囚は描く ~』展に感嘆して今回、アツコバルーでも開催することを 決めた。我々はまた独自の選別で「死刑廃止のための大道 寺幸子・赤堀政夫基金」が 2005 年から公募で集めた多く の作品群の中から選ばせていただいた。
2017年初夏 アツコ・バルー
情況証拠による事実認定
自白の任意性・信用性の判断―裁判員裁判と取調べの録音・録画を中心に
量刑の基本的考え方
裁判員制度の導入により刑事裁判はどう変わったか
少年事件と裁判員制度
裁判員裁判における「性犯罪の量刑」について
裁判員裁判における評議の現状と課題―裁判員と裁判官の実質的協働を実現するための提言
3 あるべき上訴・再審制度はどのようなものか
無罪判決に対する検察官上訴は許されるべきか
再審制度の抱える諸問題)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8d/60de971779d34e9515c57ad7f80f0eb4.jpg)
「シリーズ刑事司法を考える 第1巻 供述をめぐる問題」 岩波書店
今村核弁護士のとこ間違った目撃・被害者供述はどのように生じるのかだけ、おもしろい。
117 でた! ロフタフ
125 色と形 そこまで調べるんだ 陰茎
143 被害者供述の研究は少ない そうか 悲しいな
--------------- 目次 ---------------------
1 問題としての「供述」
法の視点から「供述問題」を考える
任意性・信用性判断の到達点とその限界
供述分析と心理学的合理性
供述採取過程の可視化と犯罪の証明
2 供述はどこまで正確か
虚偽自白はどのようにして生じるのか
間違った目撃・被害者供述はどのように生じるのか
なぜ無実の供述が軽視されるのか―「不自然・不合理」判断の闇
訴訟能力が疑われる人々の語りをどう読むか―訴訟能力の鑑定と供述分析と本人の意志尊重と
3 供述から何を読み取ることができるか
供述分析―体験者の語りと非体験者の語りを判別する
供述の信用性判断と供述者の心理特性
コミュニケーション分析―やり取りに現われる体験性/非体験性
供述の危険性をどのように伝えるか―裁判員裁判における専門家証人
コンピュータを用いた供述の可視化とその分析
「女子プロレスラー小畑千代 闘う女の戦後史」 秋山訓子 岩波書店
知らなかった。こんな先輩がいたんだ。嬉しいシスターフッド発見。
ただし筆者の文章が下手。正確には、考えが足りないんだろうな。関係ないこと、ぐちぐち入れたりして鬱陶しい。
井田真木子の「プロレス少女伝説」には及ばないが、対象素材の凄さで光っているドキュメント。
69 野次と対決
77 独立
101 テレビの撮影アングル
139 沖縄 尾類じゅりの女の誇り
189 ヤクザが生きられる時代 そうだったんだ
--------- 目次 --------------------
第1章 1968年11月6日、蔵前国技館―史上初、女子プロレスのテレビ放映
第2章 戦後復興と共に―生い立ちからデビューまで
第3章 旅から旅へ―地方巡業で見た日本
第4章 命の限界を出し切って―盟友、佐倉輝美
第5章 韓国、沖縄、ハワイ―知られざる興業
第6章 プロレスに青春を賭けて―後輩・千草京子
第7章 わが街、浅草―夢と思い出と
第8章 引退はしていない―野心的で自由な女の人生
第9章 日本の女子プロレスとは何だったか―「闘う女」の歴史
安田浩一ツイッターで発見。行く。------ 以下、転載。
国境を超えて”移住家事労働者”として働いた女性たちの思いと素顔、そしてベトナムの<いま>を見つめた写真展。
2017年7月17日~23日にフォトギャラリーPlaceM(12:00―19:00
新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F/03-3341-6107)で開催。
入場無料。
吉野家の夏メニュー。
ひき肉、レタス、チーズに、オリジナルのタコスソースをご飯にのせてある。「ハバネロソース」つき。
タコライス、450円。レタス大盛り、100円。味噌汁、60円。合わせて610円。
「風かたか」標的の島・撮影記 三上智恵だよ大月書店
1989年ウクライナで生まれ、4歳から体操を始め、9歳でキエフ国立バレエ学校。13歳で名門、英国ロイヤル・バレエスクール入学。飛び級を繰り返し、19歳にしてロイヤル・バレエスクール史上最年少のプリンシパルになる。
家族が出稼ぎして金を作ってバレエ学校に通い、そして最高位ダンサーになって12時間、週に6日踊っても、自分の部屋も持てない薄給。そうなんだ。
だから2年後に退団したわけじゃない。
右肩にロシアのダンス指導者の、左肩にバットマンのジョーカーの、そして全身へのタトゥ。
薬物、悩み、家族へのインタビューによるドキュメンタリー。