トイレ許されず受刑者失禁…国に5万円賠償命令 朝日新聞9月29日
国家賠償請求費用のほうが、高い。でも、負けてはならない勝負か。それにしても、5万円とは...。
「食の職」きほん踏まえたベルク本 第二弾にて鼎談もありね
『食の職~小さなお店ベルクの発想』 迫川尚子 ブルース・インターアクションズ刊
まっとうな食、まっとうな職。二冊目も、一気に読了。イベント行こう。
10月1日(金) 18:30 刊行記念トークイベント
迫川尚子(ベルク副店長)×木村衣有子(文筆家)×井野朋也(ベルク店長)
東京・新宿駅のビア&カフェ『BERG』 (Click!) の秘密を大いに語る!
会場:新宿三越アルコット8F「ジュンク堂書店 新宿店 喫茶コーナー」
参加費:1000円(ドリンク+ポークアスピック&ベルクおすすめワインの試飲付き)
devlin @ ウィキ: 食の職 小さなお店ベルクの発想
父から昔の話を聞いた。35年ほど前のこと。
年齢による退職勧奨を、55歳から受けた。当時、教員に定年は無かった。70歳まで勤めるひともいたようだ。
そのころ長女の私は、県立宇都宮女子校2年、次女が中学生。昔の公務員の給料は、おそろしく低かった。とても辞められるような状況ではないので、「辞めない」という。その後、娘二人とも国立大学へ進学したが、それでも学費は掛かるもの。
何度も何度も教育委員会に呼び出された。ずっと中学校の英語担当であったが、障害児学級担当になる。むろん望んだことではない。嫌がらせだ。学校では、仲間はずれ。窓際族。自宅へ教育委員が来て、配偶者への説得行動も受けた。教育長の親戚の生徒からも攻撃を受けた。最後は65歳定年制が導入されて、退職した。
10年、耐えた。頑固なとこは、わたしと似てるなあ。
(わたしが現在、退職強要を受けていることは、まだ父には伝えてない。)
「美談の男 冤罪・袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密」 尾形誠規 鉄人社
2007年の衝撃の告白。美談の男とされたが、取材を進めるうちに異層が明らかに。妻にも子どもにも滅茶苦茶してたのも、袴田事件うそ判決のトラウマか。
木谷明判事と同期、東京地裁の令状部でも席を並べたひとだったんだ。 192頁
刑事事件の裁判官として蹉跌を踏んだ後に、より精密な判決を書くようになった木谷氏。死刑判決から逃げようとして転落の人生を歩む熊本氏。象徴的な二人だ。
金子ふみ子に対し敬意を持つ...なるほど。 4頁
負けると分かっているのに、捕虜交換船で帰国する。この主題は、なんども出てくる。 34頁他
たとえば-------以下、転載。
法律上その国籍をもっているからといって、どうしてその国家の考え方を自分の考え方とし、国家の権力の言うままに人を殺さなくてはならないのか。私は、早くからこのことに疑問をもっていた。
同時に、この国家は正しくもないし、かならず負ける。負けは「くに」を踏みにじる。そのときに「くに」とともに自分も負ける側にいたい、と思った。敵国家の捕虜収容所にいて食い物に困ることのないまま生き残りたい、とは思わなかった。まして英語を話す人間として敗北後の「くに」にもどることはしたくない。
だが、私が当時の日本国家を愛し、その政府の考え方を自分の考え方としていると誤解されたくもなかった。敗戦後もそう誤解されたくはない。---以上、転載。
うつ病だとは、知らなかった。よもや、想像できないわ。 62頁。
意見を「なめす」力。これは方言か。戦中と現代の対比。 80頁
うつになると、字が書けなくなる。 112頁
限定がついてはいるが、阿部定は「好きな人」。 128頁。
「思い出袋」 鶴見俊輔 岩波新書
あふれんばかりの教養人なので、でてくる固有名詞が無限大じょうたい。気になったところを、メモ。
つめ切りを傷害罪に問われしが 3年を経て高裁無罪
<つめ切り傷害>上田看護師「ケア続けたい」 逆転無罪で 毎日新聞9月16日
>救ってくれたのが逮捕から2カ月後に接見に訪れた弁護士の一言だった。
これって、捕まってから2ケ月放置されたってこと?
つめ切り傷害、逆転無罪 福岡高裁判決「調書、誘導の疑い」 中日新聞9月16日
東京新聞18日特報面に詳述してあった。ネット閲覧だと有料なので、図書館の新聞を手書きで写した。↓
>つめ切りをした患者さんがさっぱりした顔になるのを見るのが楽しかった。それが調書では「深くつめを切るのが楽しかった」。
誘導のレベルを超えているぞ。
橋下知事「弁護士会の品位の基準、僕とは違う」 朝日新聞9月17日
刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって 江川 紹子ジャーナル
安田好弘弁護士を初めて見たのは、30年ほど前。頭よさそう、かっこいいと思った。その後、とても優秀で、困難な事件を丁寧に解決しようする姿に畏敬の念を抱く。かれの懲戒請求を煽るなんて、最低最悪極悪非道。