救援連絡センター発行「救援」紙、2面の連載コラムより
目を瞑ることは許されない
群像映画 「福田村事件」
ちょうど百年前の関東大震災の際に何千人もの朝鮮人・中国人が虐殺された。
言葉が違うといって沖縄人も殺された。ほかにも方言ゆえに命からがらの憂き目にあった人もいただろう。
深沢潮による渾身のセミドキュメンタリー小説「李の花は散っても」は、裕仁の后候補だった女が朝鮮の王族に嫁ぐ政略結婚物語。そのなかで、あの日、女子医専に通う女学生たちが生意気だと反感を買われ、東北弁ゆえ拘束され陵辱されたうえ性器に棒を突っ込まれて惨殺される姿は日本民衆を象徴していた。
千葉県葛飾郡福田村では讃岐弁を話していた行商団十五人が襲われ、幼児や妊婦を含む九人が虐殺された。
自警団を含む百人以上の村人たちが利根川沿いで殺したのだ。しかし、ずっと封印されたままの事件。
その様子を群像劇として描いた映画ができた。脚本は、レジェンド映画人三人。
加害者たち村民、被害者たち行商団。朝鮮で挫折して戻って来た元教師、デモクラシーを唱える村長。千葉日日が取材した組合活動家は、亀戸警察で銃剣で殺される。ひとりひとりが、ていねいに描かれて進んでいく。
香川からの行商団は、富山の薬売りみたいな資本はない。一年間も薬箱を預けて、使ったぶんだけ金を貰うなんて余裕はないのだ。被差別部落の彼らは、半年もの行商をして食っていかねばならない。
ちょっとした差違、弱虫の在郷軍人会分会長が怯えて村の半鐘を鳴らすことから、一気に緊張が高まる。
集団の恐ろしさ、殺戮が始まる。祭りのように。
生き残った六人は針金で縛られる。偉そうな在郷軍人会の会長いわく「皆殺しにしないと面倒だ」。
死を覚悟した青年が浄土真宗の経を唱える。唱和する女、人々。
それに被さり「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。」そう。水平社宣言。
ふたつが交錯する場面に、涙が止まらない。
八人が逮捕され、懲役三年から十年。しかし大正天皇死去の恩赦で三年も経たずに釈放された(怒り)。
★ 映画「福田村事件」監督 森達也
★ パンフレット 佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦 による脚本付き 1500円
★ 書籍 「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」 辻野弥生 五月書房新社 2200円