「不寛容という不安」 真鍋厚 彩流社
先月、『不寛容という不安』真鍋厚 刊行記念トーク常岡浩介に行ったのだった。
題名のとこにリンクを貼っておいたが、池田浩士の書評があったので頑張って読む。
そのため、気が遠くなって本を落としそうになりながら一週間かけて読む。一日一冊標準なので、なんと毎日更ブログが滞ってしまった。ふう。
イスラム国より凄まじい明治期日本の改宗強制、ひとつの例として挙げているのだが改めて天皇制の怖さを感じた。靖国神社は自衛隊員を祀らない。米国のアーリントン墓地との違い。
---------------- 目次 あれ、これ省略されてるなあ ----------------
プロローグ 「生きづらさ」と「不寛容」
第1章 誰が世界を壊したがっているのか
暴力が現実以上の意味を持つ「魔術」に
政治主張を除いたテロリズム
不完全な世界を受け入れられない、ほか
第2章 すべての歴史は修正(リヴィジョン)を免れない
無差別爆撃に対する報復でB29搭乗員を斬首
どのような人間でもありとあらゆる残虐行為が可能、ほか
第3章 暴力と排除をこよなく愛するアイデンティティ
一〇〇年前後しか遡れない疑似伝統
憲法改正というショック療法で日本が救われる
「男優位の社会」と「戦後家族モデル」、ほか
第4章 どんなユートピアもディストピアである
世俗主義〝疲れ〟による「中世回帰」
国民と非国民の二つのカテゴリーに選別する体制、ほか
第5章 人間に永遠の命を与えるのは国家だ
「崇高さを帯びる」ということのまやかし
「死者の国家管理」に抗する社会の自立性、ほか
第6章 〈感情〉という怪物(モンスター)が徘徊している
日本社会の〝多様性のなさ〟が不寛容を生む
ネットは「階級」を再生産し、可視化する
会ったこともない誰かを呪い続ける一生か、新しいつながりか、ほか
第7章 世界史の教科書に載らない何千万もの死者たち
誰も語りたがらない史上最大の〝テロ〟
途方もない暴力と収奪によって成立した「豊かな社会」、ほか
第8章 居場所なき時代の絶望、または希望
現在を人類史の一コマとして観察する
大切なのはどんな人間であるか「だけ」
「人間の人間に対する関心」から離れて、ほか
エピローグ 「敵」でも「味方」でもないものの方へ