ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「日日是好日」を観て 3  ~形からはいること つづき~

2018-12-26 09:01:41 | 映画
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ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席2名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。


  
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new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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私がこの映画を観て最初に惹きこまれたのは、主人公がお茶を習いに行った初日、まずは袱紗の畳み方を武田先生から教えてもらうシーンです。
「まずは三角に畳んで・・」
「それから四角に折り・・」
「帯の間にそれをはさむの」
などと1つ1つの所作を習うなかで、
「ハイ、そこでピッと横に引く」
と言うと、武田先生の袱紗はたるんだ布がピンと張られたことによる「パン!」とそれはそれは良い音を立てます。
主人公も見よう見まねでそれをやりますが、主人公のものは良い音が立ちません。
それでも何度かやるうちに良い音が立つんですね。
武田先生は、
「これを『ちり打ち』と言うのよ」
と言います。
私はこのシーンに前のめりになってしまいました。
なんてカッコいい!



正直、日常のなかで
(あのお年寄り、カッコいいなぁ!)
と思う人にはそうそう出会いません。
多くは、年齢相応の体力のなさを露呈したかのような身体の張りのなさ、姿勢の悪さ、まるで自分の年齢をひがんだかのようなドブネズミのような色の服、残念ながらそんな人たちです。
そして私自身、自分が還暦を迎えてからガクッと体力が落ちてきたのを実感し、
(しょうがないよな・・ どうしたってこうしたって体力については若い人にはかなわないのだからそうなったってしょうがない。なんだって若い人の方が出来て当たり前。)
と自分を慰めていたようなところがあります。
でも、武田先生の袱紗さばき、なかでもこの「ちり打ち」を観たとき、
「年寄りのほうがカッコいいことだって、まだまだ世の中にはいっぱいある!」
となんだか勇気をもらったような気がしたのでした。



そもそも「ちり打ち」って命名もカッコいいではないか。
袱紗を使って、その袱紗は毎回洗濯機をかけて洗うわけではない。
そんなに汚れるはずもない。
けれど、確かに気にはなる。
それが一連の袱紗さばきの動作のなかにちゃあんと「ちり打ち」という所作が含まれていて、毎回ちりを払う事がもう形のなかに組み込まれているなんて。
まいった、と思いました。



そもそも、どうして主人公がお茶を習うことになったのか、というとそのきっかけは主人公の母親が武田先生と道でばったりと会って(もともと住んでいるのがご近所なので)交わした挨拶のなかで武田先生がしたおじぎについて
「あの人はタダモノじゃないわよ」
と言ったことに始まります。
「みなさんでお辞儀をしたんだけれど、1人だけお辞儀が違うのよ」
と主人公のお母さんはもう鼻の穴膨らませてコーフン気味に語ります。
それで主人公が
「1人だけ違うってどういうふうに?」
と聞いても、
「ふつうなんだけれど、違うのよ。あんなきれいなお辞儀見たことない」
とわけのわからないことを言います。



それから主人公は何日かして自分の家の玄関先でバタリと武田先生に会います。
幾人かと立ち話をしていた武田先生は、
「あら、こちらが御嬢さん? 初めまして。武田でございます」
とその“タダモノではないおじぎ”をします。
けれど、主人公は確かに綺麗なおじぎだけれど母が言うほど“タダモノでない”感はわからず、
(なんだ、ただの気さくで優しそうなおばさんじゃない)
と思っただけでした。



それがお茶を習い始めて、主人公はやはり武田先生の“すごさ”に気付くのです。
誰よりも背筋がぴぃんと伸びている、とかそういうわけじゃない。
お辞儀の角度がすぐれている、とかそういうわけじゃない。
頭を深く下げなさって気持ちがいい、とかそういうわけじゃない。
けれど、武田先生のお辞儀というものは、すーっと流れるように、そして1番深く頭を下げたかなと思ったところに1秒とどまるかとどまらないかの静寂があるところがすごい、と気付くわけです。
うぅん、お茶を習うだけでお辞儀まで“仕上がりきった”感を醸し出せるものなら、もう世の中のマナースクールなぞ必要ないではないか、スズメの子も鴨の子もみなお茶を習えばよろしい。
ここにすべてが詰まっているようなのであるから、と。



それほどにお茶は“形”から入ることで、自分の人生までもが知らぬうちに整ってしまうものなのであるな、と思い知りました。
深いわぁ、お茶って。
思えば、私も去年わざわざ大阪まで一杯のお茶を飲みに出かけ、そして
「朝、いっぱいのお茶を心静かに飲む」(これは煎茶ですけれどね)
ということを心がけよう、と何事も“形”から入るタイプの私は、常滑のセラモール(常滑焼卸団地のこと)まで出かけ茶器を買いそろえお茶をたしなむ生活を送ろうとしたのでした。
朝、一杯のお茶をたしなむためにはテーブルの上に新聞が積んであったり、出しっぱなしの調味料が置いてあったりではカッコ悪い。
すべてきれいにしよう。
そして何も置かないようにしよう。
そのうち、何も置かないテーブルに一輪の花が飾りたくなったら、それもよかろう。
起き抜けのパジャマ姿で飲むわけにもいかないから、きちんと服は着替えて飲もう。
そのうち、服ではなくて、着物なんて着て飲みたくなったらそれはカッコいいだろうなぁ。
そのときが来るかどうかわからないけれど、またそんなときがきたら、それはそのときに考えよう。
・・・・などと思っていたのでした。
そして少しはそんな生活をしたのですが、引っ越しのドタバタとともに、(もう少し片付いてからにしよう・・)と結局、今はそのままになってしまっています。
朝、いっぱいのお茶をたしなむ、というたったそれだけのことがなかなか習慣化できない。
これではいけないな。
何があってもとにかく“形”を守り続ける生活をしてみよう。
そこからきっと感じること、産まれるものがあるだろう、と改めて思ったのでした。