ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

人を変えることはできない

2013-11-14 09:06:00 | 身辺雑事

でまた書いてるんですが・・(←もうやめるよ・・ この表現。)

少し前のことですが、友人が、そのまた友人の話をしました。

個人情報にかかわりますんで、ちょっと脚色してお話しますね。


夫が借金を作ってたんだそうです。

使途はまぁ、ギャンブルみたいなもんです。

妻は全然知らなかった。

夫がある日突然、

「おい、お金貸してくれ。」と言ってきたんだそうで。

「いくら?」「何に使ったの?」と問いただすと最初は500万と言っていたのが、実は1000万近くあることがわかった。

まぁ、よくある話ですがね。

この一家には子どもが3人いて、3人とももう成人はしています。

同居してますが。

そして、一家は夫のお母さんとともに夫の実家に暮らしています。

夫の一家はもともと資産家です。

だから浪費グセが夫には身についてしまったんでしょう。

保有している土地を少し切り売りすれば済むことでしょうが、お義母さんは、

「あなたたち一家の問題なんだから自分たちで何とかしなさい。」と関与は拒否。

その友人は一生懸命貯金したお金はあり、それを使えば何とかなるけれども、今までこの夫とお義母さんにはさんざん泣かされてきた。

これを機会に「そんなもの私は知りません。」と実家に帰り、離婚してもいい。


けれど、この友人はとても良い人なのでしょう。

「そうは言ってもここに住まわせてもらってたんだし、半額くらいを出して、これが手切れ金です。もうあなたとは一切関わるつもりはありません。あとの半額は自分で何とかして下さい。」と言って出ようか、と思ったらしい。

しかし、夫は子どもたちにまで

「おい、お前達はいくらあるんだ?」と尋ねた。

成人した3人の子どもたちはこれがまたいい子たちで、素直に、「私は100万。」、「ボクは150万」。とか答えたらしい。

そうしたらその夫は、

「よし、じゃあここだけで350万あるな。」と言ったんだそうです。

この言葉で、奥さんの気持ちは切れた。

これまでどんな辛いことがあっても耐えてきた。

夫の仕打ちにも、姑さんのひどい扱いにも。

けれど、そんなことは子どもたちのためだと思えば耐えることができた。

しかし、今、その子どもたちが一人前になりようやく将来の自分のためにと貯めたお金に手をつける夫は許せない。

しかも、とてもすまなそうに言うわけでもなく、子どもたちに金額を言わせ、そのとたんに「よし、じゃあここだけで350万あるな。」と金額を踏む様子が許せなかった。

子どもたちはいやいや金額を言わせられただけだ。

自分の父親だけれど、貸す、貸さないは子どもたちに決める権利があるはずだ。

なのに当然のようにそのお金はすでに自分のものであるかのように振舞う夫。

許せない・・

もう限界だ。

わかるなぁ、と思いました。

なにがわかる、って人間ってハタから見ていると、「なんでこれまでのことに耐えられた人が、それっぱかりのことで?」ってことで、気持ちが切れることがある、っていうのが。

何か基準が違うんでしょうね。

この人の場合は、子どものお金に手を出すというのが許せなかったんでしょう。


でも、子どもたちは人がいいから、出そうとしている。

それを黙って指をくわえているわけにはいかない、というわけで、

「待ちなさい! あなたたちは出さなくていい! あなたたちが出すくらいならそれをお母さんが何とかするから、あなたたちは引っ込んでなさい。」という引っ込みのつかない状況にもなったんでしょう。

だから彼女は出す、と言う。


これに対して私の友人は歯がゆくて仕方がない。

「そんなの、一円たりとも出す必要なんてないじゃない。」と言うわけです。

たとえ今回出して、あなたはきれいさっぱり手切れ金のつもりかもしれないけれど、こういうものは病気なんだから、いくら離婚したってこの夫はまた借金つくるよ。

そのときまたあなたに借りに来るよ。

5年後には今回の1000万が2000万になっているよ。

今回貸してしまったら、5年後の2000万を作ることに加担したも同然だよ。

ご主人ためにも、今のあなたがここできっぱりと1円も出さないほうがいいんだってば。

そう言ってもどうしても友人は聞かないらしい。

「どうしたらいいと思う、えっちゃん?」と言われて、

「どうもこうも・・ 結局、人って外野がやんややんや言ったってしょうがない、ってことでしょう。その人がそういう意思を固めちゃってるんだったら。」と言いました。

「あ~、もう!」と友人は、それがわかってはいても、どうにもこうにもやるせない様子でした。


私たちは、「人は変えられない。自分が変わるしかないんだ。」という事を知っています。

けれど、今回、私の友人の立場だとしたら、「人は変えられない」ということまではわかっても、これによってどう「自分が変われば良い」と言うのでしょう?

最初私はそれがわかりませんでした。

わからないから、理不尽だなぁ、と思いました。


けれど、少し冷静になってから思いました。

この場合の「自分が変わる」とは、それでやきもきしない、何にもおびやかされない心を作る努力をすることが、「自分が変わる」ってことだなぁ、と思いました。

そうして自分が泰然としていることで、うまく言えないけれど、その友人の状況も変わるかもしれない。

結局、そうするしかないんだ、と思いました。

昔の私なら、こういう結論を出す人を、

「ふん。わかったようなことを言って! 結局、冷たいだけじゃないの。そして、そういうふうに冷たい自分を正当化する理屈だけを身につけただけのことじゃないの。」と思ったでしょうね。

こういう人にはどう言ったらいいのか・・

言葉ではわかってもらうことは出来ないだろうなぁ、と思いました。

だから、これまで私は放って置かれたんだね(笑)

自分で気付くしかなかったんだね。

あ、そういうことか。







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