12月3日、ナラティブ・セラピーについて書きましたが、そのことでちょっと訂正というか加筆したいな、と思いまして。
そのことがひいては、昨日書きました、私がいかにお金に囚われているか、ということにもつながるので。
ナラティブ・セラピーとは、自分自身が幼い頃に作り上げてしまった狭い思い込みの世界観のなかでの自分の人生脚本を、別の見地に立って、自分の中にある豊富なリソース(内的資源)に気づきながら、もうひとつの別の人生脚本を書いてみよう、というものです。
だから、一緒に受講したペアになった方が書いてくださった私の人生脚本から、私はこれまでとは違う人生への視点を見つけられなければ嘘だ、ということになります。
しかし3日の日に書いた私の絵本の脚本は、そのままずばり、今やっていることそのものではないの? 別の視点でも何でもないんじゃないの? となりはしないか、というところについてちょっと補足したいと思ったのです。
実は、そう思ったのは私自身です。
書いてもらって皆で発表しあったときには、ホントに感動して心がとても温かくなり、癒されました。
でも、家に帰ってきて1夜あけてみると、待てよ、と上記のような感想が頭をもたげてきたわけです。
しかし、理屈より先に感覚がやってくるので、あのときにこれで癒された、と感じた私がいた、ということはそのことのなかにすでに答えはあるのだろう、あとはそれを自分がじっくりともう一度分析し、したければ勝手に後付けの理屈で納得するまでだ、とは思いました。
はい、後付けの理屈で納得したいタイプなんです。
あのとき、自分の人生脚本を別の人に書いてもらうためにまずしたことは、自分でこれまでの人生を総括することでした。(まるで共産党か赤軍派みたいですね、総括だなんて。)
ファシリテーターのエリさんに「総括しろ。」という言い方で言われたわけではありません。
ただエリさんには、「これまでの人生を小さい頃から振り返って、思い出深いエピソードや象徴的な出来事があったら話してあげて。」と言われただけです。
でも、これまでの自分の人生をかいつまんでほんの何十分かで人に話す、ということは私にとってはすなわち、総括でした。
そのとき私がどのようなことを話したか、と言いますと。
「私のこれまでの人生は、“経済”との戦いでした。
それは実際に家計の苦しさとの戦いだった、という意味ではありません。
常にそれが頭から離れず、ふっきろうにも、別の人生軸のほうに行きたくても、どうしても蜘蛛の巣のように張り付いてきてしまう考え、という意味です。
親からは、小さい頃は常に『良い成績を取れ。』と言われ、学校を卒業すると『安定した企業に就職しろ。』と言われ、事実、そのとおりの人生を歩んできました。
だから、そのままその企業に定年まで居れば、経済については何の問題もなかった人生だったかもしれません。
親も満足だったでしょうし、私自身もそれはそれで何も疑問も持たずにこれでよかった、と思う人生で終わったことでしょう。
でも私はオーラソーマと出会い、オーラソーマと共に生きていこうと思いました。
親は今でも『それで食べていけるの?』ということだけを心配して、娘がそれほど夢中になっているオーラソーマとはどういうものなんだ?ということを知ろうともしません。
しかし、そんな親にあなたたちを心配させることなんてないんだから!と言えない歯がゆさがまた私にあるのも事実です。
実際、今のところオーラソーマでは食べていけませんし、親は伊勢湾台風で何もかもを失ったにもかかわらず、1からコツコツと飲食店を経営しお金をため、土地を買い、家を建てた人たちです。
それでいて自分たちの商売にも誇りを持っているわけでもなく、自分たちの人生を立派だとも思っていないので、私たちが出来るこの程度のことが何でおまえには出来ないの?と歯がゆく思っているって感じです。
そんな親に反発しながらも、経済のことで彼らより上にいけません。そのことにとてもジレンマを感じています。」
・・・・とまぁ、かいつまんで言うと、こんなことを述べました。
自分が自分の人生をかいつまんで人に話すとき、「私のこれまでの人生のテーマは経済でした。」と言ったこと自体に自分で驚きました。
人は時々自分が繊細で複雑な問題にかかわっているのだ、と思っているとき、他人から「それって一言で言えばこういうことでしょ。」と言われると、「違う!そんなレベルの話じゃない! そんな一言で片付けないで。」と言いたくなるようなときがあります。
けれど、そうやって腹立たしく思うこと自体が、たぶん、その「一言で言えば」がドンピシャなときなんですよね。
自分ではとてもデリケートで一言なんかでまとめようがないはずのことだと思っていても、冷静に第三者的にまとめればまぁ、確かにそんな程度のことだわな、と認めたくなくてかわいそうな自分を防御してやりたい、という気持ちがついイラッとしてしまうのでしょう。
でも、それを自分でやってみると案外スカッとします。
なかなかこれまでの自分の人生をかいつまんで人に話すなんて機会はありませんからね。
つい自分の人生って「いろいろなことがあった・・・」と感慨にふけっちゃって、複雑に考えがちですが、あら、話してみるとこれがテーマだったんだわ、って。
もちろん、テーマは1つだけではない場合もあります。
私の場合も、経済だけではないと思っています。
けれど、このときは、脱税事件のことがあり、会社もつい最近やめたばかりなのに、となんだか生計を立てていくことに対して落ち込んでしまっていたので、よけいにそこだけにフォーカスしたような話し方をしてしまいました。
そして自分でそう言ったことに対して、「やっぱり、私っていつまでたっても本質的なところではこの問題から抜け出られていないなぁ。」と気づきました。
一度、きちんと向き合ってこの問題をやっつけておかないとほんと、マジで一生ネバネバとつきまとわれるわ、と思いました。
まず、この時点でこのことに気付いたこと自体が非常に大きなことですね。
人って、問題そのものありかに気付くともうそれでほぼ解決されたも同然、って言うじゃないですか。
そんなこともこのナラティブ・セラピーの気付きであり癒しだったと思っています。
でも、お話が絵本というファンタジーだから何となく癒されてそれで終わっちゃう、ってことではいけない、と私は今回の私のテーマについては思いました。
そう思ったとき、私の目の前に「マネーゲームからの脱出」というこれまたタイムリーな本が差し出されたのでした。
そして、この本に書かれていたことは実におもしろいことばかりでした。
「How to本」とも違う、精神論的な感じで、「こう考えればいいではないか」という哲学的に現実的な世界観をやっつけてしまおうという手法でもなく、「お金」というものがこの世でしくまれたゲームだと見た場合、このからくりのおかしい部分に気づきましょうよ、という視点で書かれたものだったのです。
この本はあまりに風変わりなものですから、なかなか一般受けはしないかもな~と思います。
でも適切な時機がきたらまたご紹介したいと思っています。
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