ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ほんの少し顔を出した自律神経失調症の症状

2011-09-14 09:17:00 | 健康・病気

先日、いつもお世話になっているファッションビルで月に1回行わせていただいている接客研修の講師としての仕事に行きました。


事前に出席者の名簿を頂いて、その名前を見ながら、頭のなかで(えーっと。この人の業種は確か文具だから、研修のなかでこのエピソードを話したときにちょっと当てて意見を聞いてみよう。)とか、(この人のお店の最近のディスプレイをまず誉めてあげよう。)などと考えながら、マーカーで印をつけていました。

そして、事務局の司会の方が、「それでは時間となりましたので、始めさせていただきたいと思います。」とおっしゃったので、おっとっと、もうこんなことしてちゃいけないな、と慌てて顔をあげて(あらぁ、今日はこんなに大勢だったのね。気付かなかったわ。これだけ大勢の人が私の話を待っていたのかと思うとちゃんとしなくちゃね。こんな直前まで顔をあげずにマーカーつけることに一生懸命でそれまでみんなの顔を見なかったことなんて初めてだわ。)と思ったとたん、なにやら急に心臓が早鐘のように打ち出しました。

あ、ヤバい、と思いました。
これは、もう15年ほど前に一度経験し、治ったと思っているあのときの自律神経失調症の症状だ、と思いました。

そのときはまず最初に目の前がぐるぐる回り、心臓の早鐘というのも今日のを持久走を走り終えたあとぐらいだとするならば、そのときは100mの全力疾走の後ぐらいの感じでした。

あの、運動量にともなって心臓が早く打つわけではなく、頭はぼーっとし意識は逆にα波状態になっていくような気がするのに、心臓だけが無酸素運動をしたときのようにバクバク打ちまくる、というのは実に気色の悪いものでした。

そして救急車で運ばれました。

全身をくまなく調べても何も悪いところは見つからなかったので、消去法的に自律神経失調症でしょう、で片付けられ、薬も特に処方されませんでした。

そしてその症状は薄紙をはぐような速度でしか治って行きませんでした。

結局、あらかたの症状が消えるには1年の余がかかりました。

それでもまだいつあの症状が出るかわからない、という不安はその後何年も消え去りませんでした。


もうあんな思いはごめんだ、と思っていたあのときの感じがうっすらながらよみがえって来ました。

もちろん、あのときに比べればまだその10分の1程度のものですけれど。

これはこういったもやもやとしたわけのわからない症状に見舞われたことがある方にしかわからないと思いますが、この日に私が襲われた症状にしたところが「だからそれって、単にいつもより出席者が多いことに緊張しただけじゃないの?」とお思いになることでしょう。

それもきっかけとしてはあるのかもしれない。

しかし、ただの緊張からのドキドキではない、ということが私にはわかったのでした。

何ともいえないイヤ~ぁな全身倦怠感により体が重くなり、さっさと行動できなくなる感じ。

息を吸って吐く、という普段あたり前にしていることが、どのくらいの吸い方でどのくらいの吐き方であれば、それが一番自然であり、心臓に負担を与えないのかがよくわからなくなる。

自分の息が自分の力ではコントロールできなくなる感じ。

そのときは(最悪、「あ、皆さん、すみません。急に体調不良になりまして、今日はお話できません。」と謝ってしまえばすむことだ。昨日や今日の付き合いではないんだし、これで何かが終わってしまう、ということでもないんだし。)と腹をくくってとりあえず話し始めたとたん、だんだんと落ち着きを取り戻して行くのが自分でわかりました。

そして、自然に話せる、ということは自然に呼吸ができていることだ、という証拠なので、いったんペースを取り戻すとどんどん落ち着いていき、事なきをえました。


しかし、久しぶりに出たこのかすかな症状。

なんだろー。

最近、わたし体調悪かったっけ?

あの頃もそうだったけど、いったんこの症状が出ると一番プレッシャーがかかるのがこうして人前で話すときと誰かと会食をするときなんだよなーとため息をつきました。

私にとって一番プレッシャーがかかるのが、「人に迷惑をかけることになったらイヤだ。」ということなんです。

そして、この「人に迷惑をかけることになる。」の基準がちょっと人様とは違うかもしれません。

私の場合は、「人がせっかくこのために空けた時間を無駄にする。」ということと「そのためにご足労をかけた。」という思いと、「その店の評判にかかわる。」ということになるかもしれない、というのが一番ダメです。

そしてその象徴が「講師として呼ばれて何十人もの人がその日のその時間のために体を空けて待っていたのに。」というのと、「料理屋で食事をしたときに倒れたら、そこの店の食中毒ではないか、と妙なウワサにでもなったりしたら、そのお店には致命的だろうな。」と思うときなんです。

だからこのときは事なきを得てほっとしました。


時と場を変えてその同じ週の日曜日。

久しぶりにダーリンと2人でゴルフに行きました。

時間よりずいぶん早くゴルフ場に着いたら、フロントで、「もしよろしければもうスタートできますがどうなさいますか?」と尋ねられ、「あ、そうですか。それなら早いスタートでお願いします。」と言いました。

着替えてすぐにスタートホールに向かい、あわただしくティグランドに立ったとたん、あ、ダメかも、と心臓がまたも早鐘を打ち始めました。


更にはその日は9月に入ったというのに非常に暑い日だったこともあり、息苦しくなってきました。

目の前の空気層の目に見えないカーテンを鋭いナイフで切り裂いて、そこから新鮮で冷たい空気を吸いたくて吸いたくて、それが出来なければもう私はもっとダメになっちゃうかも・・・という感じが襲ってきました。

とっさに用意していた凍ったポカリスエットのパッケージを首筋に当てました。

しかし、うわ、冷たすぎる、寒くなる・・・と思っただけでした。

私は本来寒がりのほうなので、もっとヒンヤリとしたい、と思ったとて、それは気分だけの問題でして、実際に冷たさを体感できてもただ「わ、冷たすぎる」と思うだけなのでした。

こうなると人の言葉がすごい刺激のように感じられてうっとうしくて仕方がないんです。

まだ私の異変に気付いていないダーリンがいろいろと話しかけてくるのにいちいち反応しなくてはならないのがしんどくて・・・

かといって「ちょっとえらい・・」と言えば、また「大丈夫か。カートに乗ってればいいんだぞ。」とか「クラブ持ってやろうか。」とかいろいろ気を使って言ってくれるだろうけれど、それにまた反応しなくてはならないのがもうしんどいのがわかっているので、できれば何も気取られぬまま、場が静かにしーんとしていてほしい。

そう思いながら、ある種私は懐かしさにも浸っていました。

(そうそう、こんな感じだったなあ、あの時も。)と。

心臓が早鐘を打つようになる、体が倦怠感に襲われる、とか大きな症状は覚えているけれど、この、人に話しかけられること自体がうっとうしくなり、自分の口数も普段よりうんと少なくなる、とかそういうことは忘れてたなぁ、なんてちょっと懐かしくそれを味わおうとしていた自分がいました。

まぁ、これ以上にはひどくならないだろうな、という勘のようなものが働いていたので、そんな余裕もあったんでしょうが。

そして更には、(今日はこのことをブログに書こうっと。)と思っている冷めた自分がいました。


私ってばマゾ?


しかし今の私の肉体が何かしらちょっとバランスを崩しているのは確かみたいだなぁ、と思った私は家に帰ってから、自分の肉体の不調の在りかを確かめてみるために4本ボトルを選んでみました。


そうしたら、出ました。

見事なまでのブルーオンパレード。

ロイヤルブルーあり、ブルーあり、ペールブルーあり、ターコイズあり、だけど、とにかくブルー、ブルー、ブルー。


そういえば、前日にはちょっと喉が痛かったから風邪かな、と思って風邪薬飲んだっけ、と思い出しました。

だから、喉に対応した色のブルーなのか。

癒されたいからロイヤルブルーなのか。

本当の自分がわかっていないからターコイズなのか。

それともそれらの色に象徴される精神面での不調が肉体の対応した部分で現れたものなのか・・・・


自分で自分のことはなかなかに一辺倒にしか分析できないものですからまぁこのあたりでやめておきましたけれど。

このように自分の肉体の不調の出所を調べるためにボトルを選んでみた、ということは初めてでした。

オーラソーマは“癒し”ではありますけれど、“医療”ではないので、私が今回やってみたようなマネは決して変則的なことで通常行うようなことではないでしょうが、ちょっと面白いな、とは思いました。

まぁ、面白がっていられる程度の不調でよかったですわ。

この前買った体組成計の体重計で体の内部を見たら、私の体年齢は57歳でした・・・

ひえ~!

これはいけない、60歳近くにもなればなんだかんだ不調になってもおかしくないわな。

せめて実年齢―5歳くらいの40代にしたいものだわ。

おまけに基礎代謝量が1125kcalですってよ。

これはひょっとしたら病人食食べてても痩せない、ってレベルの基礎代謝量じゃないのぉ。

食生活だけでダイエットは絶対無理だ・・・とこのとき思ったのでした。

とにかく多少でも筋肉つけて基礎代謝量をあげなくては。

そして体年齢を引き下げなくては。

若い頃は、エネルギーが有り余って、運動したくなる、体を動かすレジャーやスポーツがしたくなりますが、年齢を重ねると、生きるためにスポーツをせざるを得なくなる。

昔の格言にある「若いうちは恋をするために生きる。年をとると生きるために恋をする。」ってやつとほぼ一緒ですね。

これがイヤだった。

やっぱりスポーツは「好き」でやりたいもの。

だから逆にちっとも手が伸びなかったんですけど、ここまで切羽詰ってくるともうそんなこと言ってられない。

せめて拭き掃除でも一生懸命やって、今までなら自転車で行っていたところを歩いて行くように心がけよう、と思いました。





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