<お知らせ>
色に関する
シークレットワークショップとxChange
を開催します!
日時: 7月10日(金)
時間: 10:00~17:00
場所: 白金高輪
参加資格: ピンと来た方、すべてウェルカム!
☆お問い合わせ&ご予約くださいました方に、開催場所、参加費用、持ち物等、詳しくお伝えいたします。
6月20日(土)に岐阜の些々羅 で行うワークショップを東京でも行うことが決定しました!
これまでブログをご覧くださっていた方で「岐阜は遠いしなぁ・・」なんて思ってらした方、
関東の方、ぜひお会いしましょう!!
chakra@aura-soma.nameまでご連絡をよろしく~!
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆
あるクライアントさんで、ずっと長い間落ち込んでいた方がいらっしゃいました。
それがあるときすごくすっきりとした顔であらわれました。
長く沈んでいた気分から脱出されたようなのです。
クライアントさんの話を聞いてみると、脱出したきっかけは仲の良い親族の人だったそうです。
その人があまりにも落ち込んでいたので親身になって相談に乗っているうちに自分は平気になったのだ、と。
(ちなみにこの方は私の臨床事例としてブログに書くことを了承してくださいました。)
わかる、わかる。
身近な例としては感動的な映画とかを見ていていざ、涙がこぼれん!と思っているところへ先に周りが一斉に「うぇ~ん!」と自分以上に泣きはじめたら泣けなくなっちゃった、とかいうようなことってありますよね。
あり? ちょっと例として違うか?
けれどこれは本当の意味で立ち直ったと解釈していいのだろうか?
自分の問題をそっちのけにしてたまたま自分を反映している人を見つけたので、その人をいたわりその人の世話を焼いているうちに自分が労わり世話を焼かれているような気になり、気分がよくなっているに過ぎないような気がします。
だから本当の意味でこの人は自分の根本的な問題と向き合っていることにはならないのかもしれない。
支えているつっかえ棒を外したらかくんと倒れてしまうように、この人にとっては仲の良い親族を外したら、あるいはその人が立ち直ったらまた元の木阿弥になってしまうかもしれない。
だから、
「あなたのは本当の意味では自分の問題と向き合っていることにはならないよ。解決したことにはならないんだよ。」
と言ってあげたほうが親切なセラピストなのかもしれません。
けれど私はどうしてもそう言う気にはなれませんでした。
ううん、直接”言う”気にならなかっただけではなく、そういう”考えを持つ”気にさえならなかった、と言ったほうがよいでしょう。
なぜなら私の中に「そうであったとしても、人の世話を焼いているうちに自分の悩みなんて吹っ飛んじゃった、と思うことのどこがいけないの?」という疑問があったからです。
「それの何がいけないってんでぇ。」という開き直りの気持ちではありません。
なんていうか・・ うまく言えないんですが、人って多かれ少なかれ誰でもそうやって生きているんではないかなぁ、と思ったからです。
例えば卑近な例でいうと昔はご近所に1人くらい「世話焼きおばさん」という人がいたものです。
「あんたんところの娘さん、いい年頃だけど彼氏いないの? いい人がいるのよぉ、今度お見合いしてみたらどうかしら? ねっ、悪いようにはしないから私にまかせてちょうだい。」
なんて言って世話を焼く。
で、「私はこれまでに100組以上の縁談をまとめてきたのよ。」なんて吹聴し、それが生きがいとなっているような人。
こういう人に、「いいから、いいから。そんなふうに人の世話を焼く前に自分の問題をちゃんとしたら。」なんて言ったらぶんむくれてしまうでしょうね。
それこそ余計なお世話ですし、そんなことを言ったらそのおばさんの人一倍人のために尽くしたいという良い面もないがしろにしてしまうように思います。
世話を焼かれて縁談が決まった人が喜んでいるならそれでいいことではないか、ですよねぇ。
こういうおばさんに「あなたは外側にばかり問題を求めていて、自分の内側を決して見ようとしない。」なんて言おうものなら、「はぁ~~~ぁあ!!??」と宇宙人でも見るような顔をされるでしょうねぇ。
でもこういう世話好きおばさんは極端な例としても、私たちの誰もが誰かの役に立ちたいと思ったり、困った人を見たら助けてあげたいと思う気持ちがあって、そしてそのために立ち働いている間は自分の問題のことなどきれいさっぱり忘れてしまっているというような多かれ少なかれ経験をしているのではないか、と思ったのです。
ほかのことで癒されたような気になる、ということでいえば、たとえば私たちは音楽を聴いたり、すてきな絵画を見たりして、一瞬のうちに心が奪われ、感動し、なぜか涙さえ流れるような思いをすることがあります。
そしてその瞬間、それまでの自分の悩みなどどうってことないような気になる。
そういう思いを1度でもすると、今度はそれを逆手にとって悩んだり落ち込んだりしたときには、この曲を聴こう!などと意図的に「音楽を聴くことによって一瞬のうちに立ち直るわたし」というのを演出しようとします。
でも、それのどこがいけないの?
私たちが世の中を厳しい、キツイと思うとき、音楽の力を借りたり絵画の力を借りて立ち直ろうとすることのどこがいけないの?
一生を終えたとき、「私が立ち直るときにはいつもあの音楽があったわ。」と言って、それなしだったら立ち直ることのできなかったであろう自分をして、「私は本当の自分と向き合おうとせず、いつも音楽の力を借りていただけだ。」なんて自分を責める必要なんてあるわけがない。
それと同じようなことの気がして・・。
話を「世話焼きオバサン」に戻しますと、こういう仲人おばさんがご町内に1人くらいはいても平和だ、というのと同じように、私にはこのクライアントさんが他の人の悩みに親身になることによって活き活きとして何が悪いんだろう、と思ったのです。
おばさんの縁談でまとまった人はその時点でおばさんから離れていくでしょう。
おばさんもそこで自分の役目が終わったことは納得し、次のターゲットを探すでしょう。
それと同じように、いったん人を慰撫することによって自分の心も慰められるという快感を知ったこのクライアントさんは、親族の人が立ち直ったらまた自分の身近で悩みを抱えている人の相談に乗ろうとすることでしょう。
1度その味を覚えてしまったら2度と知らなかった世界にはもう戻れない麻薬と同じようにその人は次々に対象を探して人の相談に乗ってあげる人になっていくかもしれません。
それのどこがいけない?と思ったのでした。
そりゃ確かにものには限度、ということがあるでしょう。
どこからが「そりゃもう精神障害だよ。」「依存だよ。」というほどのことになり、どこまでが「そのくらいなら正常のうちだね。」となるのかはよくわかりません。
ですが私にはこのクライアントさんが町内の世話焼き仲人おばさんと何が違うのだ?と思ったのでした。
人は自分の体験によってしか気付かない。
私はそう思います。
このクライアントさんは、たまたま自分の人生のストーリーのなかに仲の良いいとこが現れ、その人が落ち込んでいてその人にアドバイスしたり、慰めたりしているうちに「そうか、私ってこういうところに意外に能力あるな。」って気付いた。
その気付きが、それまでのその人の不安や混乱などの落ち込んだ気分を吹っ飛ばしてしまった。
それをして、「あなたはでもたまたまそのいとこに自分を投影しているだけで、自分の内側と向き合おうとはしてないんだよ。それまでにそこに存在していたあなた自身の問題は何も解決したわけではないんだよ。」などと無粋な方向にセラピーを持って行く必要があるんだろうか?と思う。
ほんとうにはそういうことだったとしても。
そしてそう思っていたら、ふと「そうか! これが ”今、ここにいるこの人をありのまま受け容れる”っていうことかもしれないな。」と思いました。
だって、「この人の気付きは本質的に自分と向き合っているわけではない。いつか、この人は本当に自分と向き合わなくてはいけないのだ。」とか「そうあるべき」という気持ちが少しでも入り込むとそこにはもっともしてはいけない「べき論」が入り込むわけで、それを取っ払うということは”今”という状態がどうであろうと、とにかくその人を信じてそのままを受け容れるってことなんだよな、と思ったのでした。
私はこれまで「ありのまま受け容れる」というとき、その”ありのまま”は絶対的に正しくて揺るぎのないものだ、と思っていました。
すべてのマインドを取り去ったあとにむき身で真っ白でそこにある神格化された存在のようなもの。
だからこそありのままを受け容れなくてはいけないんだ、というように思っていました。
けれども”ありのまま”は文字通り、ありのままだったんだ。
その人にとってそのときの”ありのまま”が、良い状態なのか問題のある状態なのかはわからない。
けれどそのどちらであっても受け容れる。
糺したりはしない。
私たちには受け容れることしか許されていないし、出来はしないんだ、と思いました。
なぜなら”気付き”というものが医者やセラピストがコントロールしたり、上から与えたりするものではないから。
人は勝手にその体験のなかで自身で気付いていくものだから。
ただただそれを見つめ、寄り添い、受け容れていくしかない。
セラピストから見たら、「今のあなたの気付きってそういうことじゃないかもよ。」なんて言うことがあっても、それを指摘せずただ受け容れる。
そうでなければ、人はセラピストの言うことなんて反発を感じるだけか、否定されたと感じてしまうことでしょう。
人は自分自身が気付いたことしか受け容れていかないんだろうなぁ。
こう思うと改めてセラピストって、キリストのように偉大な人にしか務まらないんじゃないかと思っちゃいました。
ふー。
私にはしんどい・・・って。
その人の良いも悪いも含めて、ただその人本人が気付いていく一歩一歩のその”今”を認め、受け容れていく。
こりゃあキリストどころか神そのものじゃないとそんなワザ、無理なんじゃないか、って思うねぇ。
セラピストっていうのはほんと、割に合わない職業だわ。
それにしても「ありのままを受け容れる」ということに関する私自身の気付きもこのクライアントさんのおかげで得られたわけですからやっぱり、やめられまへんなぁ。
この話をセラピスト仲間の友人にしたら、
「私もいつもそれで堂々巡りしているよ。でも、何をやっても私は私だし。セラピストをやめたくなったらやめても私だし、やっていたいならやるだろうし。やめたくなってもまたやりたくなるかもしれないし。それが全部私なんだな~って思う。」
と言われて、なんだか肩の力がふにゃっと抜ける私なのでした。
でも、私自身、自己探究が好きで自分を掘り下げ続けたくてセラピーの道に入ったんだ、と思うと、友人が気付いた視点「何をやってもわたしはわたし。」という視点に気付かなかった自分、あるいは気付いて癒された感はあってもどこかで砂粒ほど納得しきれていない自分がいる感じがある、というのはひょっとして私は自分が思っているほど「自分」というものに拘泥していないのかも、あるいはセラピーというものにもっと違う視点を実は持ちこんでいたのかも、とまた考え込む私なのでした。
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<ワークショップ開催のお知らせ>
色に関する シークレットワークショップとお洋服交換会を開催します!
開催日:6月20日(土)
時間: 10:00~17:00
参加費:未定(決まり次第 詳細はまた載せますね)
参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
シークレットワークショップ???
何やるの???
ふふふっ。。。
東京から飯塚香織さんをお招きしてのワークショップです。
香織さんとのコラボなら間違いなく楽しいはず!
子どものようにワクワク過ごして、色が大好きになる時間です。
お洋服交換会って何???
お洋服交換会というのは、xChange 服としあわせのシェア のコンセプトに基づくものです。
現在、xChangeという名前を使用するにあたっては、事務局へ問い合わせ中です。
使用が認められた場合は、お洋服交換会ではなく、xChangeという文言に変更いたします。
色やデザインが好きだけどなんだか似合わない!プレゼントでもらったけど自分の好みじゃない!など。。。
でも、捨てるのはもったいない!というお洋服を持ち寄り参加者の皆さんで交換します。
色に関するシークレットワークショップだからこそ、その色の不思議に触れて、服としあわせのシェアをしてみませんか?
なお、ワークショップの参加費用の一部及びお洋服交換に伴う売り上げは、日本赤十字社を通してネパール地震の義援金として寄付いたします。
6月20日(土)は、必ず楽しいワークショップになること間違いなし!
なんだか分からないけど気になる!
この日なら空いてる!
どんな理由でもOK!
とにかくピンと来た方、参加希望の方は、
chakra@aura-soma.nameまでご連絡くださいませ。
一応の予約だけでもOKです!
ご連絡お待ちしております。。。
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<新メニュー登場!>オーラソーマ&魂の解放ワーク ――――――――――――――――――――――――――――――――――
オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分
☆ボトルなし → ¥ 9800
☆ボトルあり(50ml)→ ¥12800
オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。
オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。
★「魂の解放ワーク」とは?
パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
たとえば・・
*自分の記憶につながる香りを作る。
*ゲシュタルト療法における「椅子のワーク」を行う。
*童心にかえって楽器をかきならす
*瞑想する。
*絵を描く。
*自分の感情、気分、これまでの人生を体で表現する。
※クライアント様がワークを指定することはできません。
こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。
リピート特典あり (※3か月以内に2回目を受けられる方は¥1000OFF)
¥9800 → ¥8800
¥12800 → ¥11800
***********************************
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★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
をクリックしてください。
アドレスからの検索はこちら。
→http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
→http://sasara.info
★アニマルコミュニケーション関係は、
ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
クリックしてください。
アドレスからの検索はこちら。
→http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
★全国一律1品から送料無料
お支払いの方法は振り込みです。
振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
ご了承ください。
すべて、お問い合わせは
chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!
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色に関する
シークレットワークショップとxChange
を開催します!
日時: 7月10日(金)
時間: 10:00~17:00
場所: 白金高輪
参加資格: ピンと来た方、すべてウェルカム!
☆お問い合わせ&ご予約くださいました方に、開催場所、参加費用、持ち物等、詳しくお伝えいたします。
6月20日(土)に岐阜の些々羅 で行うワークショップを東京でも行うことが決定しました!
これまでブログをご覧くださっていた方で「岐阜は遠いしなぁ・・」なんて思ってらした方、
関東の方、ぜひお会いしましょう!!
chakra@aura-soma.nameまでご連絡をよろしく~!
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆
あるクライアントさんで、ずっと長い間落ち込んでいた方がいらっしゃいました。
それがあるときすごくすっきりとした顔であらわれました。
長く沈んでいた気分から脱出されたようなのです。
クライアントさんの話を聞いてみると、脱出したきっかけは仲の良い親族の人だったそうです。
その人があまりにも落ち込んでいたので親身になって相談に乗っているうちに自分は平気になったのだ、と。
(ちなみにこの方は私の臨床事例としてブログに書くことを了承してくださいました。)
わかる、わかる。
身近な例としては感動的な映画とかを見ていていざ、涙がこぼれん!と思っているところへ先に周りが一斉に「うぇ~ん!」と自分以上に泣きはじめたら泣けなくなっちゃった、とかいうようなことってありますよね。
あり? ちょっと例として違うか?
けれどこれは本当の意味で立ち直ったと解釈していいのだろうか?
自分の問題をそっちのけにしてたまたま自分を反映している人を見つけたので、その人をいたわりその人の世話を焼いているうちに自分が労わり世話を焼かれているような気になり、気分がよくなっているに過ぎないような気がします。
だから本当の意味でこの人は自分の根本的な問題と向き合っていることにはならないのかもしれない。
支えているつっかえ棒を外したらかくんと倒れてしまうように、この人にとっては仲の良い親族を外したら、あるいはその人が立ち直ったらまた元の木阿弥になってしまうかもしれない。
だから、
「あなたのは本当の意味では自分の問題と向き合っていることにはならないよ。解決したことにはならないんだよ。」
と言ってあげたほうが親切なセラピストなのかもしれません。
けれど私はどうしてもそう言う気にはなれませんでした。
ううん、直接”言う”気にならなかっただけではなく、そういう”考えを持つ”気にさえならなかった、と言ったほうがよいでしょう。
なぜなら私の中に「そうであったとしても、人の世話を焼いているうちに自分の悩みなんて吹っ飛んじゃった、と思うことのどこがいけないの?」という疑問があったからです。
「それの何がいけないってんでぇ。」という開き直りの気持ちではありません。
なんていうか・・ うまく言えないんですが、人って多かれ少なかれ誰でもそうやって生きているんではないかなぁ、と思ったからです。
例えば卑近な例でいうと昔はご近所に1人くらい「世話焼きおばさん」という人がいたものです。
「あんたんところの娘さん、いい年頃だけど彼氏いないの? いい人がいるのよぉ、今度お見合いしてみたらどうかしら? ねっ、悪いようにはしないから私にまかせてちょうだい。」
なんて言って世話を焼く。
で、「私はこれまでに100組以上の縁談をまとめてきたのよ。」なんて吹聴し、それが生きがいとなっているような人。
こういう人に、「いいから、いいから。そんなふうに人の世話を焼く前に自分の問題をちゃんとしたら。」なんて言ったらぶんむくれてしまうでしょうね。
それこそ余計なお世話ですし、そんなことを言ったらそのおばさんの人一倍人のために尽くしたいという良い面もないがしろにしてしまうように思います。
世話を焼かれて縁談が決まった人が喜んでいるならそれでいいことではないか、ですよねぇ。
こういうおばさんに「あなたは外側にばかり問題を求めていて、自分の内側を決して見ようとしない。」なんて言おうものなら、「はぁ~~~ぁあ!!??」と宇宙人でも見るような顔をされるでしょうねぇ。
でもこういう世話好きおばさんは極端な例としても、私たちの誰もが誰かの役に立ちたいと思ったり、困った人を見たら助けてあげたいと思う気持ちがあって、そしてそのために立ち働いている間は自分の問題のことなどきれいさっぱり忘れてしまっているというような多かれ少なかれ経験をしているのではないか、と思ったのです。
ほかのことで癒されたような気になる、ということでいえば、たとえば私たちは音楽を聴いたり、すてきな絵画を見たりして、一瞬のうちに心が奪われ、感動し、なぜか涙さえ流れるような思いをすることがあります。
そしてその瞬間、それまでの自分の悩みなどどうってことないような気になる。
そういう思いを1度でもすると、今度はそれを逆手にとって悩んだり落ち込んだりしたときには、この曲を聴こう!などと意図的に「音楽を聴くことによって一瞬のうちに立ち直るわたし」というのを演出しようとします。
でも、それのどこがいけないの?
私たちが世の中を厳しい、キツイと思うとき、音楽の力を借りたり絵画の力を借りて立ち直ろうとすることのどこがいけないの?
一生を終えたとき、「私が立ち直るときにはいつもあの音楽があったわ。」と言って、それなしだったら立ち直ることのできなかったであろう自分をして、「私は本当の自分と向き合おうとせず、いつも音楽の力を借りていただけだ。」なんて自分を責める必要なんてあるわけがない。
それと同じようなことの気がして・・。
話を「世話焼きオバサン」に戻しますと、こういう仲人おばさんがご町内に1人くらいはいても平和だ、というのと同じように、私にはこのクライアントさんが他の人の悩みに親身になることによって活き活きとして何が悪いんだろう、と思ったのです。
おばさんの縁談でまとまった人はその時点でおばさんから離れていくでしょう。
おばさんもそこで自分の役目が終わったことは納得し、次のターゲットを探すでしょう。
それと同じように、いったん人を慰撫することによって自分の心も慰められるという快感を知ったこのクライアントさんは、親族の人が立ち直ったらまた自分の身近で悩みを抱えている人の相談に乗ろうとすることでしょう。
1度その味を覚えてしまったら2度と知らなかった世界にはもう戻れない麻薬と同じようにその人は次々に対象を探して人の相談に乗ってあげる人になっていくかもしれません。
それのどこがいけない?と思ったのでした。
そりゃ確かにものには限度、ということがあるでしょう。
どこからが「そりゃもう精神障害だよ。」「依存だよ。」というほどのことになり、どこまでが「そのくらいなら正常のうちだね。」となるのかはよくわかりません。
ですが私にはこのクライアントさんが町内の世話焼き仲人おばさんと何が違うのだ?と思ったのでした。
人は自分の体験によってしか気付かない。
私はそう思います。
このクライアントさんは、たまたま自分の人生のストーリーのなかに仲の良いいとこが現れ、その人が落ち込んでいてその人にアドバイスしたり、慰めたりしているうちに「そうか、私ってこういうところに意外に能力あるな。」って気付いた。
その気付きが、それまでのその人の不安や混乱などの落ち込んだ気分を吹っ飛ばしてしまった。
それをして、「あなたはでもたまたまそのいとこに自分を投影しているだけで、自分の内側と向き合おうとはしてないんだよ。それまでにそこに存在していたあなた自身の問題は何も解決したわけではないんだよ。」などと無粋な方向にセラピーを持って行く必要があるんだろうか?と思う。
ほんとうにはそういうことだったとしても。
そしてそう思っていたら、ふと「そうか! これが ”今、ここにいるこの人をありのまま受け容れる”っていうことかもしれないな。」と思いました。
だって、「この人の気付きは本質的に自分と向き合っているわけではない。いつか、この人は本当に自分と向き合わなくてはいけないのだ。」とか「そうあるべき」という気持ちが少しでも入り込むとそこにはもっともしてはいけない「べき論」が入り込むわけで、それを取っ払うということは”今”という状態がどうであろうと、とにかくその人を信じてそのままを受け容れるってことなんだよな、と思ったのでした。
私はこれまで「ありのまま受け容れる」というとき、その”ありのまま”は絶対的に正しくて揺るぎのないものだ、と思っていました。
すべてのマインドを取り去ったあとにむき身で真っ白でそこにある神格化された存在のようなもの。
だからこそありのままを受け容れなくてはいけないんだ、というように思っていました。
けれども”ありのまま”は文字通り、ありのままだったんだ。
その人にとってそのときの”ありのまま”が、良い状態なのか問題のある状態なのかはわからない。
けれどそのどちらであっても受け容れる。
糺したりはしない。
私たちには受け容れることしか許されていないし、出来はしないんだ、と思いました。
なぜなら”気付き”というものが医者やセラピストがコントロールしたり、上から与えたりするものではないから。
人は勝手にその体験のなかで自身で気付いていくものだから。
ただただそれを見つめ、寄り添い、受け容れていくしかない。
セラピストから見たら、「今のあなたの気付きってそういうことじゃないかもよ。」なんて言うことがあっても、それを指摘せずただ受け容れる。
そうでなければ、人はセラピストの言うことなんて反発を感じるだけか、否定されたと感じてしまうことでしょう。
人は自分自身が気付いたことしか受け容れていかないんだろうなぁ。
こう思うと改めてセラピストって、キリストのように偉大な人にしか務まらないんじゃないかと思っちゃいました。
ふー。
私にはしんどい・・・って。
その人の良いも悪いも含めて、ただその人本人が気付いていく一歩一歩のその”今”を認め、受け容れていく。
こりゃあキリストどころか神そのものじゃないとそんなワザ、無理なんじゃないか、って思うねぇ。
セラピストっていうのはほんと、割に合わない職業だわ。
それにしても「ありのままを受け容れる」ということに関する私自身の気付きもこのクライアントさんのおかげで得られたわけですからやっぱり、やめられまへんなぁ。
この話をセラピスト仲間の友人にしたら、
「私もいつもそれで堂々巡りしているよ。でも、何をやっても私は私だし。セラピストをやめたくなったらやめても私だし、やっていたいならやるだろうし。やめたくなってもまたやりたくなるかもしれないし。それが全部私なんだな~って思う。」
と言われて、なんだか肩の力がふにゃっと抜ける私なのでした。
でも、私自身、自己探究が好きで自分を掘り下げ続けたくてセラピーの道に入ったんだ、と思うと、友人が気付いた視点「何をやってもわたしはわたし。」という視点に気付かなかった自分、あるいは気付いて癒された感はあってもどこかで砂粒ほど納得しきれていない自分がいる感じがある、というのはひょっとして私は自分が思っているほど「自分」というものに拘泥していないのかも、あるいはセラピーというものにもっと違う視点を実は持ちこんでいたのかも、とまた考え込む私なのでした。
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色に関する シークレットワークショップとお洋服交換会を開催します!
開催日:6月20日(土)
時間: 10:00~17:00
参加費:未定(決まり次第 詳細はまた載せますね)
参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
シークレットワークショップ???
何やるの???
ふふふっ。。。
東京から飯塚香織さんをお招きしてのワークショップです。
香織さんとのコラボなら間違いなく楽しいはず!
子どものようにワクワク過ごして、色が大好きになる時間です。
お洋服交換会って何???
お洋服交換会というのは、xChange 服としあわせのシェア のコンセプトに基づくものです。
現在、xChangeという名前を使用するにあたっては、事務局へ問い合わせ中です。
使用が認められた場合は、お洋服交換会ではなく、xChangeという文言に変更いたします。
色やデザインが好きだけどなんだか似合わない!プレゼントでもらったけど自分の好みじゃない!など。。。
でも、捨てるのはもったいない!というお洋服を持ち寄り参加者の皆さんで交換します。
色に関するシークレットワークショップだからこそ、その色の不思議に触れて、服としあわせのシェアをしてみませんか?
なお、ワークショップの参加費用の一部及びお洋服交換に伴う売り上げは、日本赤十字社を通してネパール地震の義援金として寄付いたします。
6月20日(土)は、必ず楽しいワークショップになること間違いなし!
なんだか分からないけど気になる!
この日なら空いてる!
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とにかくピンと来た方、参加希望の方は、
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一応の予約だけでもOKです!
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オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分
☆ボトルなし → ¥ 9800
☆ボトルあり(50ml)→ ¥12800
オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。
オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。
★「魂の解放ワーク」とは?
パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
たとえば・・
*自分の記憶につながる香りを作る。
*ゲシュタルト療法における「椅子のワーク」を行う。
*童心にかえって楽器をかきならす
*瞑想する。
*絵を描く。
*自分の感情、気分、これまでの人生を体で表現する。
※クライアント様がワークを指定することはできません。
こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。
リピート特典あり (※3か月以内に2回目を受けられる方は¥1000OFF)
¥9800 → ¥8800
¥12800 → ¥11800
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ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
ご了承ください。
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