ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

縁とは不思議なもの

2013-09-25 09:07:00 | 出会い

少し前に故人となった、灘中で長年「奇跡の国語授業」を行った橋本武さんのことを書きましたが、橋本氏の「100歳からの幸福論」という本を読みました。

ここには彼の人生哲学が記されているわけですが、私が一番心に残ったのは“縁の不思議”ということでした。

橋本氏は、

『縁というものは私たちの人生に、有形無形さまざまな影響を与えていると思いますし、約束をして人と会うことと、偶然すれ違うことなども大した差はないような気がします。』

と書いておられます。
それはたまたま廊下ですれ違った、たまたま同じ時間に同じ景色を見ていた、たまたま同じ本を読んだという偶発的な出会いや一致から、人と人との関係が生まれることもあるから、という思いを彼が抱いているからです。

ご自身でも一番印象的なこととして、こんなことを語っておられます。

橋本氏は85歳のときに車にはねられて意識を失いました。

しかし奇跡的に軽傷で7針縫うだけの怪我で済んだのです。

そのことを自分の教え子である、今は医者となったある人に話すと、その人が

「先生の声は、本当の年齢より20歳は若く聴こえますよ。」と言いました。

それを聞いたとたん、橋本氏が思ったことというのは、

「85歳で20歳は若いということは、つまりはこの先まだ20年は生きられるということだ。仮にこの先20年生きて100歳を超えたとき、『あのとき源氏の現代語訳を始めていれば、今頃出来ていたのになぁ。』と思っても取り返しがつかない。よし、すぐに始めよう!」

源氏物語の訳は数々出回っているけれども、自分だったらこうするなぁ、ああするなぁ、という思いを橋本氏は抱えており、その訳を行うということは長年の彼の夢だったのです。

こうして彼は、85歳から源氏物語の現代語訳を始め、足掛け9年を要して94歳のときにそれは完成しました。

それ以外にも橋本氏は100歳になるまでに5度自分は命の危険にさらされたことがある、と書いておられてその5度ともがほんのちょっとの奇跡によって生還したと語っておられます。

例えば、中3のときには腹膜炎になって寝たきりだったけれど、たまたま母親が購読していた「主婦の友」に腹膜炎には酢卵がいいと書いてあり、それをこつこつと実行したところいつのまにか元気になった、など。

近所には同じ腹膜炎をわずらっていた同じ年頃の女の子が2人おり、彼女たちが亡くなってしまったことを考えると自分は助かったのはあの酢卵のおかげに違いない、と。

そしてひいては元気だったら絶対に手にしない「主婦の友」という本を読む気になったのも寝たきりだったから、母親が購読していたから、という奇跡が重なったからだ、と。


こういうエピソードを読んでも私は「いやぁ、それが分かれ目となる縁だった、というよりは、それを分かれ目の縁とする素地がもともと橋本氏の中にあったからにほかならないだろう。」としか思いませんでした。

だって、誰が「あなたの声は本当のお年より20歳は若いですよ。」という一言から、

(では今から20年経ったら私は実際には105歳だけれど、85歳ということか。)→(85歳なら平均寿命から考えてもまだ生きているだろうなぁ。)→(ということは、そのときにあ~ぁ、もう死ぬと思ってやらなかったけれど、こんなに生きているならやっておけばよかったなぁ、と後悔することはないだろうか?)→(それをやらない限り、私は絶対後悔する!)→(よし、だから今からやろう!)

・・とまぁ、こういう連想になるでしょうか。

たいていは、(へへっ。随分と若くみられて嬉しいな。)で終わりではないでしょうか。


橋本氏で言えば、やはり「源氏物語」のことが常に頭の隅にあったからこそ、この瞬間に電線がショートして火花が散るがごとく、「やらねば!」という選択と決心にまで至ったのでしょう。

これについてはちょっと冷めてそう思った私でしたが、冒頭の「縁とは約束して人と会うことと偶然すれ違うことに大差はない。」ということから、これまで私は「あれは縁だったなぁ。」という大元にはもっと実は最初から縁がはじまっていたのではないか、ということを思いました。

例えばうちにいる2匹の猫ですが、両方とも捨て猫を拾ったものです。

ここで出会ったということ自体、縁だったよなぁ、とは思ってもそこに至るまでにすでにいくつもの偶然や力が働いていた、とまでは思いませんでした。


例えば、古株の「チャワンテ」の方は昔名古屋に勤めていたときの会社の駐輪場にずっといたのですが、私は会社として使用していたそのビルで自転車を使うことはありませんでしたから、それまで駐輪場になど立ち寄ったことはなかったのです。

しかし、あるときちょくちょく顔を出していた車のセールスマンが「駐輪場にいつも同じ猫がいますよね。」と何気ない会話の中で言ったことがきっかけで「えっ! そうなの・・ ちゃんとご飯食べているんだろうか・・」と思って駐輪場をのぞいてみたことがきっかけでした。

そのディーラーのセールスマンからは何も車を買うこともなく、そのままその事務所も去るということになって何も縁を結んでいませんが、あのとき彼女(そう、セールスマンと書いてきましたが、正確にはセールスウーマンです。女性だったんです。)に出会わなければ、チャワンテの存在も知らぬままに過ぎた、と思います。

さて、それから駐輪場を見に行くとキャットフードがパラパラ落ちているし、痩せてもいないし、(あぁ、誰か餌はあげているんだな。)と安心し、そのときにすぐに私が飼おう、と思ったわけではありませんでした。

しかし、時期は夏から秋にさしかかるときで台風シーズンでした。(ちょうど今ぐらいだったかな・・)

ある日、ものすごい風と雨で(あの猫、どうしてるんだろう・・ こんな雨で駐輪場がすみかでは雨宿りする場所もないだろうな。)と思い、今日だけ、台風が去るまで、と言い聞かせて、会社の社長に了承をもらって会社の中に入れてやりました。


そしてそのときも臆病で警戒心の強いチャワンテはいきなり抱っこされたりはしませんでしたので、私は「おいで、おいで」と言いながらエレベーターホールのほうに誘導し、(ここで付いてこなかったらあきらめよう。)と思っていました。

しかし、チャワンテはおそるおそる付いてきました。


あとでチャワンテをアニマルコミュニケーションで見てもらったとき、

「あのとき、ママの手が黄金に光って見えた。ほかにも優しくしてくれる人は何人かいたけれど、この人は特別だと思った。」と言いました。

チャワンテにしたところが、もし私の手が黄金に見えなかったら付いてこなかったかもしれないわけです。

こうして考えるといくつもの偶発的に起こったと思えることが重なっており、チャワンテを実際に自宅で飼うことになるまでの確率ったらいったいどれくらい低いものだったの、という気がします。

出会いは奇跡だと思います。

オーラソーマとの出会いにしたところが、そうです。

私はこれまで、たまたま書店で手にした本、「色の暗号」 泉智子:著 に出会ったことによってオーラソーマに出会い、惹かれていったと自覚していましたし、それは何度もこのブログにも書いています。


しかし、よぉく思い返してみると、私はそれまでに2度ほどオーラソーマとニアミスしているのです。

そこからさかのぼって1、2年前のことです。

岐阜駅構内には「アクティブG」と言って、地元のアーティストを育てるために市が格安で貸しているブースが並ぶ一角があります。

そこにオーラソーマのお店がありました。

当時は“オーラソーマ”という言葉も知りませんでしたけれど。


最初は「ん? ここ何だろう? なんだか綺麗なビンが並んでいる・・」とだけ思って通り過ぎました。

全面ガラス張りのそのお店は、じろじろと覗き込んだら中に居る人と目が合っちゃうからちょっと気恥ずかしいわ、と思ったのです。

メニューも何も分かりませんでしたし。

でも意を決した私は、「よし、今度あの前を通りかかったら勇気を出して中に入って、これは何に使うものなんですか? って聞いてみよう。そして興味深い返事が返ってきたら体験してみよう。」と思っていたのでした。

しかし、最初に通りかかったときこそ、そこには静寂な時間が流れており、たぶん、ヒマなときが多そうなお店だぞ・・と思ったそこは、それから2度ほど通りかかったときにはどちらも中に先客がおり、声をかけられる雰囲気ではなくあきらめたのでした。

それからほどなくしてそこは退店してしまったようで私もそのうち忘れてしまったのでした。

あのとき、誰もお客がいなくて、「こんにちは。」と中へ入っていったら・・

そこでオーラソーマを初体験していたら・・

そう想像すると、私はそこで「へぇ~ 世の中にはまだまだ知らない新種の占いみたいなもんがあるもんだ。」ぐらいの感想で終わってしまっていたような気がします。

そうしたらそこから私はオーラソーマを自分がリーディングする側に回る勉強を始めようなどという機会には2度と巡りあわなかったことでしょう。

つくづく「縁は異なもの、不思議なもの」だと思います。

いくつもの巧妙に仕掛けられた天の采配によって出会いを果たした、と思うものもあれば、出会わなかったことにより逆に後々、それと強力な縁を結ぶことになる、ということもあるということ。

橋本氏は「そんなことも長く生きてきたからめぐり合えた。」とご自身の長生きを面白がっておられました。

私もこれからまだまだ何に出会うか毎日、わくわくしながら生きて行きたいと思います。






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