もう2ヶ月ほど前になりますでしょうか。
突然メールに見知らぬ方から「ネット講師の依頼」という項目のものがありました。
何だろう?と思って開いてみると、早い話がネットで行う「カルチャーセンターの講師」のようなものでした。
そこには、「貴殿のブログを読ませていただき、ぜひオーラソーマのネットでの講座をお願いしたく・・」とあったので、私はその担当者の方に「興味のあるお話ではありますが、私はティーチャーではありませんので、オーラソーマについて講師をすることはできないのです。」と返答しました。
すると、「ジャンルについては何でも構いません。」と返答がきました。
何でも構いません・・???
へ? と気が抜けてしまいました。
この依頼されてきた方は、私がブログでオーラソーマについて熱く語っているのを見て、是非に、と言ってくださったわけではなかったの?
どーゆーこと?
まぁ、良く受け取れば、私が毎日ブログを更新し、それもけっこう長文をUPしているものだから、こういう人ならネットというツールを通しての文章がカナメとなる講座でもソツなくこなせるだろう、と文章力を見込んでくださった、と受け取れないこともないけれど。
「ジャンルは何でも構わない」とは言いすぎでは?とちょっと白けてしまいました。
だって、いくら“語る”能力があったって、その“語るべき内容”について何を持ち合わせている人なのかのチェックも何もなく、何でもいいよ~っていうのは軽すぎないかい。
でも、私は確かに書くことが好き。
書くことによって、自分がいま感じたり、考えたりすることを表現することが好き。
ゆくゆく本が出せたらいいなぁ、とも思っている。
そう思っていた矢先にこういう話がくるとは、とまた偶然ではない必然を何かしら見出そうとしてしまいます。
だからできることなら、出来る限りの努力は払って、偶然やってきたわけではない出会いに応えたい、と思うわけです。
なので、オーラソーマ以外で出来ることはないか、と考えてみました。
けれど、考えれば考えるほど、それはリアルで、対面で、実技演習などをともなわずに、文章だけで伝える、ということの難しさを想像しました。
もちろん、言葉だけではなく、絵や図や動画やもろもろのワザをネット上で繰り出して分かりやすく説明するのがいいんでしょうけれど、ただただ文を書くだけならいいんだけれど、私はそういう技術がとんと、ない。
それに加えて、これをやることに対してどんなメリットがあるのかを考えるとどうもメリットがほとんどないように思える。
そりゃあ、新しいことに取り組めば取り組んだだけひとつ自分の財産になるんでしょうけれど、経験をふやした、ということ以外に実利的なメリットは何もないように思える。
だって、まずオーラソーマをメインに据えてじっくり取り組んで生きたい、と思っている私がオーラソーマ以外のジャンルのことで何かやったとて、それがどうオーラソーマに跳ね返ってくるのか、つながってくるのか、トンと見当もつかない。
2,3質問もあったので、そちらの担当者に尋ねましたが、そのときの返答ぶりといい、今回の依頼の仕方といい、とりあえず種は大目にまいておけ、というものだったようにも見受けられました。
種をまいておいて、「是非やらせてください。」と食いついてきた人だけに対応しやあいいや、っていうような。
返事の期限は2ヶ月、とありました。
その期限が引越しのゴタゴタのあたりと重なるのも気になりました。
引越しのときに全く別ジャンルで新しいものを立ち上げるのはさすがにキツイ・・
というわけで、放っておいたら自然に期限が切れていました。(と、思います。)
先方からは、「もう少しで期限が切れますが、お考えいただいたでしょうか?」とか何の打診もなかったので、余計に撒きえの一粒にすぎなかったんだな、と思い、これも縁だったかもしれないけれど、それが引越しと重なってとても準備を進められる状態でなかったというのもまた必然だったのでしょう。
本当に縁のあるものなら、またどこかで出会うでしょうから、と今回はあきらめることにしました。
そしてそんなことも忘れかけていたある日。
テレビのニュースを見ていたら、高齢者を狙う新たな詐欺として、「ほめちぎり商法」というものが横行している、というのを見ました。
どういうこと? 高齢者でなくてもほいほいとだまされやすいところのある私は(そうなんです。しっかりしているようで私ってば結構抜けている、っていうか物事を信用しやすい。今までこういうものに引っかからずに来たのはひとえに回りの皆さんがいい人ばっかりだったから、というに過ぎない。)、どれどれ、どんな詐欺なのか私も気をつけなくっちゃ、と思ってそのニュースを見ました。
それはこういうことでした。
俳句とか短歌とか、書道とか、絵画とかの高齢者で趣味を持っている方、そしてその趣味のサークルや会などに入っている方を狙いうって、その作品をほめちぎり、新聞などに載せますよ、と勧誘しておいて、多額の掲載料をとる、というもの。
番組ではこういうものに気をつけましょう、と注意を喚起するのが目的だったようで、どこからが詐欺と立件できるのか、ということについてはよくわかりませんでした。
例えば本当に掲載はなされたのか?
これ、最も大事な部分ですよね。逆に言えば、ここさえ本当に掲載された、という話ならいくら多額な掲載料であっても、“詐欺”とはならないんじゃないのか、と思ってしまいました。
例えば多額であろうが、トラックは貸すけど配達はしないというホームセンターで買った植木が3000円だったとしたら、それを自宅まで運んでくれて、指示したところに置いてくれてというだけで5000円になっちゃうという便利屋さんに頼んだら高いのは当たり前で、新聞社と直接やりとりして掲載されたなら1万円のものが、間に業者を通せば3万円になる、っていうのは当たり前じゃないか、と思いました。
ちなみに番組では俳句1句を新聞に載せるのに3万円とられた、という女性が「異様に高いと思いました。」と言っていましたが、何を基準に異様に高いと思ったのかよくわからない。
少なくとも年にすると金利1000%を越すものもある、というようなヤミ金の利息に比べたら、めちゃ可愛いレベルですね。
多分、その女性は7句載せたということなので、21万円だったわけで、「21万円」という金額だけを捉えると掲載してもらうために何十万円も使ったなんて!という感覚なんでしょうね。
私が一番驚いたのは、テレビにはコメンテーターとして弁護士が登場して、「まず、社会的に評価を受けていない作品に対して、ほめちぎって評価する、と言うこと自体、これはもう“嘘”であり、“詐欺”なわけですね。」と発言していたことです。
え? そーなっちゃいますかぁ? って感じ。
この場合の社会的評価とは、有名な会で賞をとったこともないような作品や人、というほどの意味でしょう。
でもそんなこと言ったら、まだ世に出ていない金の卵を発掘するときはどうなるの?
スポーツ選手とかだって、大きな大会で活躍していないけれど、あいつはいいもの持っている、という段階でスカウトは鼻をきかせるわけでしょう。
俳句や絵画だってそれはいえるんじゃないの?
荒削りで、賞はとれないだろうけれど才能は感じるからほかでバンバン掲載されて有名になっちゃう前に是非、私が発掘した人だ、ということで世に出してあげたい、ということはあるんじゃないの?
社会的な評価が固まっているかどうかが、詐欺かどうかを見極めるポイントですよ的にテレビで言っちゃうと、真面目に名もなき巷に埋もれている人を発掘しようとする人までが犯罪者のように思われてしまうんじゃないの?
詐欺というのは知能犯ですから、どれだけこういう手口が横行しています、気をつけましょう、と言っても、その対処法が行渡った頃にはまた新たな手口を考え付いて実行する人たちが出てくるんでしょうね。
ましてや、これからどんどん高齢者社会になるならなおさら、その方たちのなけなしの年金を狙った犯罪は増えそうです。
気をつけて欲しいですが、高齢者の方には「ほめられる」ことに臆病になってしまわないでおおらかに過ごして欲しいな、とも思いました。
私にネット講師を依頼してきた会社は、通常なら入会金のようなものが必要らしいけれど、それが無料、そして2ヶ月分のネット使用料みたいなものが無料になるということでした。
最初にそれが提示されていたので、私は疑うこともしませんでした。
逆に言えば、入会金+2ヶ月分が無料、という程度が今の私の価値なんだな、と思いました。
その世間の基準評価のようなものをきちんと受け止めようと思いました。
そして当初の目標どおり、「そちらからお金をいただくなんて滅相もない。こちらがお願いするんです。」と乞われるまでじっと我慢しようと思いました。
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