ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「健やかなるときも、病めるときも・・」とはなかなかいきません

2019-09-30 09:01:03 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************





最近、季節の変わり目のせいか、どうも体調が思わしくありません。
最初はある日突然、股関節がやたら痛くなりました。
「痛い」っていうか、厳密にいうと伸びきったゴム紐をそれでもまだ伸ばされるようないや~な重だる感っていうかな・・
どういう姿勢をとっていてもとにかくすぐに違う姿勢にしてみたくなる。
違う姿勢をとってみても結局そのイヤな重だる感は変わらないのだけれども、少しでもラクにならないかな~なんて淡い期待とともに動き回ってみたりする。
そのうち、腰もヤバくなってきた。
そしてある日、突然に腰は大丈夫、となったら今度は喉が痛くてたまらない。
こりゃ風邪か、と風邪薬を飲むのですがいっこうに効きません。
それどころか風邪薬の作用かやたら眠くてたまらない。
くっと15分か20分昼寝でもしてあとは爽やかならいいけれども、どれだけ寝ても寝てもまだ眠れる・・という怠惰な感覚。
いや、これも厳密に言うと「眠い」という感じよりも、むりやり心臓の拍動だけ抑えられている感じで身体が疲れて眠い時の感覚ではないので、なんか気持ちが悪い。
そしてついには風邪薬の飲み過ぎで胃腸がやられました。
こうなると今度は眠れない。
眠れないので、今度は入眠剤を飲む。
もうこんな有様で、薬漬けの日々。
ついに喉の傷みだけではなく、ひどい肩こりの傷みとともに頭痛までするようになってしまいました。
こうなってみて、「そうだ、痛いんだから痛み止めだわ」と思い、ロキソニンと前に医者でもらってあった、筋肉弛緩剤のチザニンを飲んだら一発で治りました。
なんだったんだ・・
西洋医学はしょせん症状抑えだから、と敬遠気味でしたが、出ている症状を抑えている何時間かのうちにそこを自ら治す免疫力が働いて、その薬が切れたはずの時間にももう治っているってこと?
だったら、対症療法の西洋医学も捨てたもんじゃない。
結局は、自分の免疫力で治してる、ってことなんだからね。



さて、そんな感じで私が体調不良で苦しんでいる間、今度はダーリンが指を切ってしまいました。
毎日の皿洗いはダーリンの家事分担となっているのですが、ダーリンは皿洗いのときに包丁も研いだりしてくれます。
そのときによく切れるようになった包丁でスパッとやっちゃったらしい。
「シンクが血の海だったんだぜ!」
とアピる、アピる。
絆創膏を貼っても痛くてたまらない、指が曲げられない、とギャアギャアうるさい。
「どれ、ちょっと見せてみ?」
と見ると、全然たいしたことない。
こんな程度のもの、台所仕事してりゃあ1年に1回か2回はやるわさ、という主婦にしてみれば口の端でへっ、と笑い飛ばしたくなるような程度のものでしたわ。
まったく男って血を見ることに弱いんだなあ、とつくづく思いました。
しかし、ダーリンは
「これでもう当分、洗い物はできないな」
となぜか目を輝かせてのたまうのでした・・



そしてある日、今度は、
「えっこちゃ~ん! ちょっと来て! たいへん、たいへん!」
と2階から私を呼ぶ。
もうぉ、だから急いで動くのも私は悪寒と熱でしんどいんだって、という風邪がまっただなかだった日のこと。
なにかと思って行ってみると、
「足が曲がらん! 痛い」
と言う。
そう言いながらも、すでに自分でロキサニンハップを足首に貼り終えていました。
だったら私を呼ばなくても、もうそれ以上にやることなんてないじゃないの。
私なら、自分で出来ることはしたあとにどうしても自分ひとりじゃ出来ないことがあるときだけ人を呼ぶわ。
こっちだって風邪がひどくてしんどい、ってさっき話したばかりのときなのに、こっちの都合はどうでもいいのか? 自分のしんどさだけをアピっていいのか?とちょっとイラッとする。
そして、
「どうするの? 病院いく?」
それで私に運転して連れて行ってほしいのか? という意味で聞いてみる。
「・・・いや、そこまでじゃないみたい。もう少しこれで様子みるわ」
と言いました。
どうやら、久しぶりにゴルフに行って足首を使い過ぎたらしい、とのことです。
そのあともちょっとした動きで、
「ああっ!」とか、
「痛いっ!」とか
さんざ騒いでいましたが、全然見向きもしてやりませんでした。



それでね、つくづく思ったんです。
「健やかなるときも、病めるときも・・」って教会では誓いの言葉を言いますが、健やかなるときはいいですよ、そりゃ、自分が健康なら相手を思いやる気持ちも湧きます。
けれど、自分も病んでいるときに相手をそんなに思いやれますか、っつーの。
そりゃ入院だの手術だのってことになったら、そのときは「相手のほうがひどいんだな」ってわかりますけれど、日常生活のなかでちょっとしたことくらいだと、
「私ならそんなことで相手を呼びつけたりしない」
「私ならひとりで耐える」
「私ならそれでも家事をする」
とか思うと相手を思いやるどころか、相手の神経を疑うほうに気がいっちゃいます。
もう神経戦なんですよ。
相手と自分とどちらのほうがひどい状態なのかを見極めよう、ていう。
でも、どれだけ自分では見極めたつもりでも相手の態度がそれに準じたものでなければ腹が立つだけで一緒のことですしねぇ。
これからどんどん年齢を重ねていくわけですから、どんどんあっちが痛い、こっちが痛い、ということも増えていくと思われます。
そうなったとき、ほんとうに相手を思いやれるのか? ・・・疑問です。
これも1つの修行ですかね。

雨の日のゴルフ

2019-09-23 09:01:39 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************






先日、高校の同窓生による恒例のゴルフコンペがありました。
私は以前から参加表明していました。
でも日にちが近づくにつれ、
「こりゃ台風のまっただなかではないか・・」
ということがわかってきました。
台風については暴風域のエリア内ではありませんが、秋雨前線か低気圧かとあいまって、天気予報としては90%以上の雨でした。
内心、
(やだなぁ・・)
と思いました。
昔は
「ゴルフというものは自然条件のなかで行うもの。たとえ雨が降ろうと、風が吹こうと、雪でゴルフ場のほうからクローズドです、というお知らせがこない限り、やって当たり前なんだ!」
という意気込みでしたが、最近では
「別に今からプロになろう、って話じゃあるまいし。サンデーゴルファーとしてレジャーとして楽しみたいだけなのに、ちょうどその日が雨じゃあ、やめたいよなぁ。たとえば日帰りでドライブの予定がその日朝起きたら大雨だった、となれば中止にして当然のように、ゴルフだって雨ならやめようよ・・」
と泣き言を言うようになってしまいました。



しかし、ここで問題なのが他のメンバーの考え方とキャンセルフィーです。
ゴルフ場に対して支払うことになるキャンセルフィーは(たいてい1週間を切ると発生することになっているゴルフ場が多いかな)自分がそれでもやめたい、と思えば支払えばいいだけのことですが、他のメンバーがもし自分がやめることでプレーが成立しなくなったり条件が変わってくるのは避けたい。
たとえば3人でエントリーしていたのが1人や~めた、となれば、2人プレイです。
2人プレイだとたいていのゴルフ場は「ツーサム保証」といって、別料金をとられるんですよね。
もともとゴルフは1パーティ4人で回るスポーツだ、みたいなところがあるので。
だから自分がや~めた、ということを言って他の2人がツーサム保証金をとられることになるのなら、その人たちのツーサム保証金までやめると言い出した人間がもつべきではないか、とかお金の問題がからんできてしまうんです。
そして今回のようなコンペだと4組とか5組確保してあるのをや~めた、と言い出す人間が続出して、たとえば、ですよ、全組3人ずつばかりだった、というのもゴルフ場に対して気が悪いし、5組が4組や3組になるのもゴルフ場に迷惑がかかるし、それを伝えなければならない幹事さんにも悪いし、なにより、
「なんだよ。誰だって、こんな天候のなかやめたいのはやまやまなんだよ。それを雨だからぐらいで自分はやめる、って言いだすのはわがままだよ」
と思う人もいるでしょう。
それでは統制がとれなくなってしまいますからね。



しかし、それでも最近つくづく思うのは“もう無理がきかない年齢”に入ってきている、ということです。
みんなの和を乱すのもな、と思って雨で気乗りがしなくても参加すると、
「雨なのでスコアが思うように伸びなくてつまらなかった」
というだけではなく、
「妙に身体が冷えて風邪をひいてしまった」
というところまで行ってしまう可能性がかなり、ある。
風邪というわかりやすいものならまだしも、私の場合、お腹のあたりや腰が冷えるとわけのわからない不調が長引いたり、場合によると日常生活に支障をきたすほど身体が痛くなってしまったりする。
もうこうなると、「みんなの和が大事だから」とか言ってる場合じゃない。
しかも、今回の雨はへたすると台風の影響による雨ですから、並大抵ではないかもしれない・・
やだなぁ、どうしようかなぁ、でも今さらになって断ると絶対みんなに
「あいつ、台風の雨予報だからキャンセルしたんだぜ」
って思われるよなぁ、とうじうじ考えていました。



と、コンペ3日前の日、1名のメンバーが、「発熱した」という理由によりキャンセルしてきました。
なんだかそのとき、
「しまった! 先を越された・・!」
という気持ちになりました。
発熱はほんとうのことかもしれない。
しかし、発熱ということにしてどうせ雨になるにきまっているからやめたいだけかもしれない。
まぁ、そう疑われても仕方がない時期のキャンセルだよなぁ、と思います。
いずれにしても、1名キャンセルが出たことにより、
「私も実は・・」
とはもう言いにくい状況になってしまいました。
こういうのも先手必勝だよなぁ。
でも、マジで私たち還暦ゴルファーのコンペでの異常気象については幹事が仕切り直すことにするのかどうかを考えてもいいよなあ、なんて思いました。
だって、ただの雨じゃないはずだもん。
もう“無理がきかない”年齢になってるんだもん。
昔取った杵柄で、というわけにはいかないんだもん。



ま、この時点では私は1名キャンセルが出た時点で、あきらめて腹をくくって参加するつもりでいたんですよ。
そうしたら、なんと!
前日になって、持病であるぎっくり腰のケが出てしまったのです。
今回はいきなりもう動けない、痛みがひどい、というまでではありませんでした。
普通にゆっくりとした動作でなら日常生活は過ごせます。
けれど、身体を瞬間的にひねる、などはもってのほか。
当分、ゴルフはできないでしょう。
やれやれ。
仕方なく私は幹事に「急きょ前日で申し訳ないけれどもキャンセル」を伝えました。
伝えながら、内心
(あ~、これ前日になってこんなこと言ってくるなんて、絶対ウソだぁ~と思われてるだろうなぁ。確かにそれを画策していたんだから、気持ち的にはからきしウソとも言えないけれども、腰を痛めちゃってとてもゴルフができる状態ではないんだ、ということは本当なんだよ~ 信じてくれよ~)
と叫んでいました。
ま、あまり前からいろいろ考えるものじゃないですね。





市役所の窓口で

2019-09-22 09:01:59 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************







ついに・・・!
年金がもらえるようなお年頃になってしまいました。
なんかよくわからないんだけど、「請求することが出来ますよ」みたいな案内が来てて、「でもどうせ今じゃなくてもっと後にしたらもっと金額はUPするんですよ」という案内でしょ、と思って放っておいたら、今度は口座だけは作ってある銀行から案内が来て、
「あれは待っていなくてもすぐに請求してもらえるやつだ」
と言う。
丁寧に説明してくれたけれども、そのときは「あ~、そういうことですね、はいはい」と言っていたが、今はきれいさっぱりその理屈については覚えていない・・。
そんなものですよ。
とにかく請求すればいいのね、ということさえわかれば、あとのことは忘れてしまう。
とにもかくにもくれるというものは請求しなくては、ということで、請求に必要な住民票とか戸籍抄本とかを市役所に取りに行きました。



市役所の市民課というものはどこもこんなものだと思いますが、たいていはなにかの書類を取りに来る人ばかり。
真ん中に大きくそれらの請求に必要な書類を記入するコーナーがあり、あとは請求する窓口と受け取る窓口がある。
私は必要事項を記入した用紙を持って、請求する窓口に行きました。
するとそこでは何やら市の職員の人と相談しながら、そこで用紙に記入している人がいる。
その様子を見て、私は思わず舌打ちしたい思いが起こる。
(ここは記入する場じゃないでしょうに・・! ここは記入したものを提出するだけの場でしょうに。こういう人がいるから列が長引くんだわ)
と。



そして私の番がやってきました。
職員の人は用紙にざっと目を通したあと、おもむろに、
「何に使われるためのものですか?」
と尋ねました。
んなこと、カラスの勝手でしょ、なんのために聞くんだよ、と思いつつも、
「えっと、厚生年金基金だっけかな? 年金の申請用です」
すると市職員の方は少し首をかしげながら
「基金ですか? 年金じゃなくて? どちらですかね? 企業年金のほうかな?」
と言いました。
私は内心(どっちだっていいじゃないか)と思いながら、
「えっと・・どっちだったかなぁ」
とつぶやくと
「今、先方からその請求の案内をしてきたものもお持ちですか?」
と尋ねられたので、
「えぇ、持っています」
と取り出しました。



職人の人はそれに目を通しながら、何かに気付きはじかれたように
「あ! ここに①と②はどちらかでいい、って書いてありますから、おたくが請求されてる住民票と戸籍抄本、これはどちらか1つだけでいいんですよ」
と指摘してくれました。
私はもう1度その送られてきた書類をよく見ました。
そこには「送付に必要なもの」として箇条書きに①②③④⑤とあったのですが、私は勝手にそれらが全部必要なものと思っていたのですが、その下に小さく、「※①と②についてはどちらか1つ」と書いてあったのです。
職員の方はそこを見落さず指摘してくれた、というわけです。
「あ、ほんとうですね。ではどちらか1通だけで・・」
と言うと
「どちらでも良いのなら住民票のほうが発行手数料が安いですからそちらにしておきますね」
と言いながら、書類の「戸籍抄本 1通」のところをギュッギュッと横棒を引いて消しながら書き換えてくれました。



それから、
「年金申請用でしたら、1通までは無料になりますからこちらの企業年金用のために必要な戸籍謄本は無料になります」
とおっしゃいました。
私は自分を恥じ入りました。
前の人がなにやらカウンターに来てからぐじゃぐじゃと職員の人と話し、その場で何か書いていたのを思わず、
「ここはさっさと書類だけを提出するところなのに」
と思ったけれど、私も結果的に職員の人とやりとりがあって、長引いているじゃないか!
役所の対応は・・!といつも腹を立てることが多いけれども、ある意味、親身なんだよなぁ。
だって、私の例でいえば、記入したのはわたし、それをただ受け取って、記入方法にさえ間違いがなければそのまま通して、何に使うかも聞かず、ただ受け取り窓口で私が申請した分の書類を発行したって何の問題もないはずです。
家へ持って帰ってからもう1度よく書類を読んだときに私が、
「あ! しまった! これは①と②とのどちらか1つだけでよかったんだ」
と気付いて1通ムダにしちゃったじゃないか、と思ったって、それはあくまで自己責任であり、「チッ、あのとき市役所の人がもう少し丁寧に聞いて相談に乗ってくれていたらこんな間違いは起こらなかったのに」などと逆恨みすることもありません。
けれど、あくまでも「市民のために」ということが仕事だ、と思っている彼らにしてみれば、結果的に損をさせてしまった、ということになってはいけない、と思っているのでしょうね。
特に年齢を重ねてくると、じゅうぶんに目を通したつもりでも「間違えていた」とか「勘違いしてた」とか「読み間違えていた」「理解していなかった」ということが往々にしてあります。
「間違いは起こって当然」という前提にたって事態を把握してくれようとするから、窓口でただ申請書類を受け取るだけ、ということではなく、渋滞が起こることもある、ということなんですね。
私はこの日初めて、“役所仕事”をありがたい、と思ったのでした。



でもね、それでもあえて言わせてもらうと申請のために必要ですよ、ということをお知らせしてくる書類がわかりにくすぎるんだよっ、もう少し簡潔にわかりやすく言えないのかねぇ、とも今度は矛先を変え、あくまでも私のせいではない、としたい私がいるのでした。





「敬老の日」に思ったこと

2019-09-20 09:01:00 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************








この前、「敬老の日」がありましたね。
我が家では、こういう記念日にはきちんとプレゼントを渡すので、ダーリンの両親と私の母にプレゼントを渡しました。
これがね~
毎年のことなんですけれども、極端な反応で考えさせられるんですわ。



まず、お義母さんにはポシェット型の斜め掛けできる財布をあげました。
お義父さんにはカード入れがたっぷりあるやはり財布をあげました。
それを選んだ時点で、ダーリンが、
「ま、使わんと思うけど」
って言ったんですよね。
「え?」
思わず聞き返しました。
「どういうこと? なんで使わないの? 絶対使わないってわかってるものだったらあげてもしょうがないじゃない。どういう機能の財布なら使いそうなの?」
と言うと、
「いや・・ どういう機能が備わってたら使う、とかそういう問題じゃなくて、なんとなく、さ。今使ってる慣れ親しんだものをなかなか手放さないんだろうな、って思っただけ」
と言いました。



年をとれば誰だって慣れ親しんだものの方を使いたいのはわかるけれども、ダーリンの両親はそういう問題じゃない気がする。
ただ“気持ち”だけを受け取るタイプなのだ。
だからいつも行くと
「まぁまぁ、そんなもの買ってくれなくてもよかったのに」
と言いつつも、息子が記念日ともなれば忘れることなく自分たちのところへ寄ってくれることが何より嬉しいのだ。
プレゼント自体に興味がない証拠に、行ってプレゼントを渡しても、開けようともしないし、見向きもしない。
ヘタすると、見向きもしないどころかテーブルの上に置いたそれを「こんなもの邪魔だから」といわんばかりに手で払いのけながら、
「そんなことより、恵津子さぁ、この前・・」
などと、愚痴の話に余念がない。



この様子を私は最初のこそすら、内心腹を立てていました。
「こちらは時間をかけてプレゼント選びをしているのだから、せめてその場で開けてみて、何か感想を言ってくれれば、まだこの先の参考にもなるのに」と。
でも、もうあちらもダーリンも「物そのものよりその行事がつつがなく催行されることが大事」としか思っていないことがわかったので、私ももうなんとも思っていません。
どうせムダになるものならコストパフォーマンスのできるだけ良いものを、と思うだけです。
それにしても人の気持ちを汲み取らない人たちよ、とは思っていますが。



反対にうちの母親。
「まぁ、ありがとう」
と言ってすぐに中身を空け、身に着けてみてくれたりするのは良いのですが・・。(今年はネックレスをあげました)
「あ、そういえば、あんたナスを買いすぎちゃったから、少しもっていく?」
と言うので、
「そう。じゃあ、もらっていくわ」
と言うと、
「何本?」
と言う。
その瞬間、私はなにか自分が居るべき場所に立っていないような妙な気持ちになる。
何本って・・ そちらが買い過ぎたからもらってくれ、と言うからじゃあ、もらうわ、と言っただけで、母が必要ない、使いきれない、と思う本数をこちらへよこせば済むことだろう、と思う。
この時点で私に必要な本数を自己申告させる、ということ自体がもう違うような・・。
そして今、私のアタマにナスを使ったメニューが思い浮かんでいるわけではない。
従って何本使用する、などということはわからない。
これが例えばもやしであれば、傷みやすいから今日中に使わないと、と思うだろうから
「一袋でいいよ」
とか即答できるでしょう。
けれど、ナスなんて仮に今日使い残したからって、どうってことないじゃないの。
今日仮に焼きナスにしてまだ残ったって、明日は漬物、あさっては麻婆茄子とかにできるじゃないの。
何十本もあれば、たった2人の家庭でそんなには・・と思うけれど、どうせ母のことだから数本の話なんでしょ、どっちだっていいわ、そんなもの。
――――と思いながら、私が答えないと話が先に進まないので、
「じゃ、3本」
とてきとーに言ってみる。



すると次は、
「細めのやつ? 小さくて丸っこいやつ?」
ときたもんだ。
もうこの時点で、私はだんだん腹が立ってきている。
アンタがたくさん買い過ぎたからもらってくれ、なんだろーが!
それを何本欲しいんだ? どんなタイプのが欲しいんだ? さ、申し述べてみろ、と聞かれているうちに、私のほうが
「お願いします。私はどうしても今日ナスが欲しいんです。お母さん、分けていただけませんか?」
とひざまずいて乞うている感じになってきて、なんだかみじめな気分になってきてしまうのです。
こんなみじめな気分になってまで、たかがナス3本なんかいらんわ! とむらむらしてくる(ナス農家の方、ごめんなさい)
でも、そんなことを言おうものなら、心底母は不思議そうな顔をして、
「だって、いらないものをあげてもしょうがないから、聞いてるんじゃないの?」
と言ってくることは間違いない。
たぶん、母は正しいのだろう。
せっかくモノをあげてムダにされても、と思う昔かたぎの物を大切にしたい気持ちからそう言っているのだろう。
もうこの時点で義父母とは正反対。
でもね~ はぁ~



それでもなんとか気持ちを抑え、
「・・・どっちも取り混ぜてにしといて」
と言ってみる。
するとさらに、
「取り混ぜて、ってアンタ3本って言ったじゃない。どっちが2本?」
「じゃあ、2本2本で4本ちょうだい!」
もうこの時点で完全に私は物乞いです。
「ちょうだい」って言葉つかっちまってるんですから。
もう毎回毎回、母のほうが「もらってくれない?」と言うから「じゃあ・・」と言ってもらってあげようとするとこういう会話になる。
ほんとにイヤだ。
母は自分が「あげる」立場ばかりの目線で、もらう人の気持ちがわかっていないと思う。
だからこそ、「敬老の日」や「母の日」などで何かプレゼントをあげると異常に喜んだフリを見せ、
「こんなぐらい喜んでおけばいいんでしょ。わたし、ちゃんと演じきったでしょ」
と言いたいのだ、とうがった見方をしてしまうほどです。



ほんとにねぇ・・
どっちもどっちなんですよ、両極端。
母も義父母も。
もう虚礼廃止にさせてほしいわ。



ダウンサイジングな暮らし

2019-09-14 09:01:33 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/18(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/16(月・祝)10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席 
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************






このところ、ずっと世間を騒がせている、
「年金以外に自分で2000万円は用意しろ問題」、金融庁がその試算を出してから後追い記事のようにして、マスコミが
「いや、2000万円なんてとんでもない。実は3000万円だよ」とか、
「ゆとりのある生活をしたいと思うなら、8000万円だよ」とか、
「あれはそもそもサラリーマンの夫と専業主婦という組み合わせの夫婦の試算だから、そうではない世帯であれば、あの試算自体が成り立たないし、日本はそういう世帯ではないほうが多いのに」とか、
まぁ、かまびすしいことこのうえない。



そもそもこの問題の根っこって、
「で、ほんとうのところはいくらなんだ?」
ということではなくて、
「いくらであろうと日本というこの国で、レベルこそ違え、豊かさを感じながら生きていくことは出来ますよ」
というメッセージが皆無だ、ということだと思います。
2000万を個人的に老後に貯めることが最低ラインですよ、という言い方に聞こえるところではないか。(いや、「聞こえる」っていうか、実際そういうつもりで言ってますよ、って金融庁は言いたいかもしれないけど)
2000万円を貯めることができない人はもう最低限の生活も出来ないから死ぬしかないんですよ、と言っているように聞こえる。
自己責任で勝手に生きていけ、と。
いや、それ以下だとどういう風にいったい生きていけるのか、政府としてはわかりませんけどね、という。



そう言われて20代なら「これから頑張って貯めればまだ間に合うかも」と思えるかもしれないけれど、現在すでに60UPの年齢の人で蓄えがない人にとっては「死ね」というようなものです。
2000万円があれば、まぁ並みの生活が出来ますけれども、もし1000万円ならだいたいこんな感じになります、500万円ならこんなもんです、まったくない場合でも最低限このくらいの生活は出来ます、という話じゃありませんからね。
もう、ぽんっていきなり「2000万円が最低ライン」みたいな感じで提示されたから国民の不安を煽ってしまったんでしょう。



ちなみに私の友人は、かれこれ10年ほど前にご主人を亡くし、それ以降、若い頃から好きだった水泳のインストラクターをしていますが、私と同い年ですからね・・ コマは年々減らされ、なかなかに生活は厳しいらしい。(どうしてなんですかね? これから高齢化社会で元気ではつらつとしていたい、そのためには体には気を付けていたい、というお年寄りは多いはずなのに、そしてその中でもスイミングって骨に負担をかけたりしないから結構人気だと思うのだけれど、増えるのは子どものコマばかりで年寄りのための教室が増える様子はないそうです)
で、そんな彼女ですが、若い頃にご主人と一緒に買った家のローンは払い終え家賃こそかかりませんが、月20万円以下で生活しています。
そして、その中からコツコツと貯め、「この分なら80歳までは安泰」らしいです。
「それ以上寿命がある場合は、もう野となれ山となれ、知らん」
と言っていますが、それでもたくましく生きていくんですよ、人間。
生きていくしかないんですから。



そして先日は、ショコラさんという60歳になってからの「60代1人暮らし」というジャンルでブログが1位になった方の、「58歳から日々を大切に小さく暮らす」という本を読みました。
ほんと、ただ淡々とした日々が綴られているものです。
別にショコラさんはミニマリストではありません。
そして彼女も小さいながらマンションを購入し、それはすでに払い込み済みですので持家あり、です。
ですのでやはり私の友人と同様に家賃はかかりませんが、なんとこの方は月12万円で暮らしているとおっしゃいます。
家計簿の写真まで本にupしてらっしゃいます。
それでもヤフオクとかメルカリとかを上手に利用して、本当に大切にしたい、自分の趣味に合う、欲しいものだけを考えてから買うようにしていらして、自宅を公開されていますが、なかなかに素敵なおうちです。
食べているものにしても、着ていらっしゃるものにしても、とても月々12万円で暮らしている人とは思えない。
しかも、節約に節約を重ね、わたしゃ、節約生活自体が趣味で楽しくてしかたがないんですよ~という感じでもない。
ごく自然体でさほど汲々としている様子には見えない。
ふぅん、うまくやりくりすればこのくらいでも十分に素敵な生活を満喫することができるんだな、というお手本みたいな感じです。



こういう風にね、素敵にやりくりしている人の暮らしを垣間見せてもらうと安心しますね。
憧れたりもします。
私は前にも自称「安上がりなオンナ」であり、車も走りゃいいし、ブランドものには興味がないし、豪華なパーティやら旅行にも興味がないし、ホテルでディナーみたいなグレードにも興味がないしで、まったくセレブリティな生活をしていらっしゃる方のブログとか見ても憧れません。(ていうか、そもそもそういうブログをまず読まないですけどね)
でも、上手にやりくりして暮らしている人には憧れたりしますね。
それは、そのほうがモノにだって愛着がわくだろう、ということもあるからです。
どうしてもこのバッグが欲しい、というとき、それが3万円だったとします。
モノが入る分量だけのことを言えば、そんなのビニール袋でも1000円くらいの布のトートバッグでもいいわけですよ。
でも、どうしても欲しい。
私はどうしてこのバッグにそんなにも惹かれるんだろう?
デザインか? 縫製か?
あ! そっかぁ、こんな細かいところまで気を配ってある手作り感のある職人魂に惹かれたんだな、と気付き、よし、それならば私がその魂、じっくりと大切に味わいましょう、と考えて考えて、何の生活費を削ったらその3万円がひねりだせるか考えてそのバッグをようやく買うことにする。
そんなモノの買い方のほうに惹かれるんだよなぁ。
これからはとくにモノはもう増やしたくないから、よりそういう買い方を心がけたいものです。



いずれにしても、政府にはもう少し、心が浮き立つような、
「1○万円でも出来るこんな暮らし!」とか、「2○万円ならこんな暮らし!」というような素敵なお手本でも紹介してもらいたいものだわ、と思ったのでした。