団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

北朝鮮

2023年10月02日 | Weblog

  5月にコロナの規制が第5類に移行した。10月に入って猛暑も峠を越えたようだ。早朝の散歩時、もうセミの鳴き声も消えた。

 3月のワールド ベースボール クラシックでの日本の優勝から始まって、アメリカの大リーグでエンゼルスの大谷翔平選手の投打にわたっての活躍に胸弾ませた。しかしついに大谷選手は、右腕を痛め、故障者リスト入りしてしまった。時間的に、妻が出勤した後の孤独な時間を埋めてくれていた大きな楽しみが突如なくなってしまった。それでも何とか他のスポーツで気持ちを入れ替えていた。大相撲の9月場所で貴景勝が熱海富士との優勝決定戦で勝利して優勝した。孫の高校も全国サッカー選手権予選を勝ち進んでいる。続いてラグビーのワールドカップ、バレーボールのオリンピック予選、アジア大会が私を楽しませてくれている。

 10月1日、夜、アジア大会のサッカー男子の準々決勝が行われた。相手は、北朝鮮だった。試合が始まった。北朝鮮の選手たちの様子がおかしい。殺気立っていた。反則も多かった。日本の選手と違って、相手は、全国民が徴兵制度で軍人教育を受けている。平和ボケしているといわれる日本の若者。日本チーム全体に、自分たちは、スポーツをしている。スポーツは、ルールがあって、審判がそのルールを監視して、反則を取り締まってくれるのだと固く信じているように私には感じられた。私の北朝鮮という国や国民への偏見や先入観かも知れないが、とてもサッカー観戦を楽しむような気持ちになれなかった。

 そもそもスポーツは、代理戦争と呼ばれることもある。旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時、オリンピックへの出場権を争うサッカーの予選クロアチア対ユーゴスラビアがあった。ベオグラードの競技場は、ユーゴスラビアの応援一色だった。選手より観客の方が殺気立っていた。試合途中、停電があった。競技場が真っ暗になった。発煙筒が投げ入れられた。意図的に誰かが、電源をおとしたらしいが、真相は明かされなかった。相手への罵詈雑言、判定への不満、傍若無人ぶりが、観客の中で孤立していた異邦人の私には恐かった。昨夜のアジア大会サッカー男子の準々決勝は、あのベオグラードのクロアチア戦のように、まったくサッカーを楽しむことができなかった。

 近代オリンピックの父と呼ばれるフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵はオリンピズム、オリンピックの精神とは「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」と宣言した。

 またスポーツマンシップの解説には、スポーツ選手が身につけておくべきとされる競技精神のことで、競技に全力を尽くすことや公明正大であること、競技の対戦相手や審判、味方などへの敬意と尊敬を忘れないことと記されている。

 試合途中、北朝鮮の選手が、日本人選手に水を補給させようとしていた日本チームのスタッフの冷蔵バッグから。水のペットボトルを抜き取った。止めようとしたスタッフに殴りかかろうとした。これって犯罪で、スポーツを越えているって。たまたまそれを見ていた審判は、水を盗った選手にイエローカードを出した。試合中ではない時のイエローカードってあり。私ならレッドカードで一発退場にする。サッカー以前の人間として失格だ。試合終了後、北朝鮮の選手は、今度は主審に詰め寄った。危険だった。北朝鮮チームにスポーツ精神がないのか。

 次に北朝鮮と試合することがあったら、北朝鮮選手が水のペットボトルを盗る前に、日本選手から水を進呈したらいい。戦争を知らない日本選手は、静かにスポーツマンシップを遂行し続けることで、少しでも北朝鮮選手の荒んだ気持ちに何かを感じさせるしかない。

 スポーツにおいて、審判への敬意と尊敬が持てなくなったら、スポーツでなくなる。審判は、重要な神職にも匹敵する役目である。それにしても何だかスポーツも昨今の交際情勢に似かよって来ているように感じるのは、不自然なことだろうか。


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