団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

赤いスープ

2021年11月08日 | Weblog

  散歩の途中で鮮やかな赤いケイトウ(鶏頭)が植えられているのを見た。綺麗だと見入った。7日の日曜日、妻と散歩することになった。いつものコースをやめた。なぜなら先日見た真っ赤なケイトウを妻に見せたかった。それと写真も撮りたいと思った。私が確かにケイトウを見たと思った場所へ向かった。しかしそこにはケイトウはなかった。あったのはあまり手入れがされていないセンリョウの植え込みだった。ケイトウとは似ても似付かなかった。老化による思い込みかとがっかりした。そんな脳が「もしや…」のヒラメキを発した。やはりそこだった。振り回された妻には悪かったが、妻も真っ赤なケイトウを見て感激してくれた。間違った場所へ行ったことで、認知症ではという思いも消えた。燃えるような赤い色のケイトウは、しばしこのところの嫌な気持ちを忘れさせてくれた。

  色というのは、不思議なものだ。黒い色を連想する食物は、何となく健康に良さそうに見える。最近では“黒ニンニク”が広く知られている。豚なら“黒豚”、牛なら“黒毛和牛”、“黒豆”、“イカ墨”、“ニシンの昆布巻き”。では赤い色は、どうだろう。黒い食べ物ほど赤い食べ物は、思いつかないが、赤い食べ物と言えば、まずトマトかな。トマトの赤も好きな色である。

  カナダの学校で私は、乳牛の世話をしたことがある。その学校は自給自足に近い学校運営をしていた。全寮制で学校関係者の子弟以外、全員が寮に入っていた。1日2時間学校の運営に関わる奉仕活動することが定められていた。また学費減額を希望する生徒は、更に2時間働くことができた。私は乳牛の世話とニワトリの世話の仕事を得た。

  乳牛は60頭ほどいた。それぞれの生徒に担当の牛が決められた。私が担当した牛は、私にとてもなついてくれた。ある時、近所の砂糖工場から砂糖ダイコン(ビーツ)の搾りかすが大量に持ち込まれた。牛も甘いものが好きらしく、搾りかすを与えるとヨダレをタラタラ流しながら、目を輝かしてむさぼった。私はその時初めてビーツを知った。

  そして間もなく私もビーツを実際に口にすることができた。ウクライナからカナダに移民した家族の家に招待された。そこで真っ赤なスープが出てきた。その赤い色はビーツの色だと言う。私が世話をしていた乳牛が、あれほどビーツの搾りかすを喜んで食べたのだから、本体のビーツは、美味いに違いないとスープを口にした。味は悪くはなかったが、牛が喜んだ程ではなかった。ただその赤い色が強く目に焼き付いた。

  2003年に妻がロシアのサハリン(旧樺太)へ転勤になった。そこでボルシチというスープを知った。極寒の地では体を温める食べ物が多い。ボルシチもビーツを使ったスープである。冬、外は雪で銀世界になる。温かく赤いボルシチのスープは、寒さを和らげてくれた。ボルシチは元々ウクライナの料理だという。ここでカナダのウクライナ出身の家族に招かれた時出た赤いスープとつながった。

  ケイトウの赤色が、私の過去の思い出を引き出した。先日成城石井で下ごしらえされたパックのビーツを見つけた。便利になった。早速購入して赤いスープを作った。それはカナダのウクライナ人のものとも、サハリンのボルシチとも違うものだった。でもその赤さは、変わらず綺麗な赤い色だった。


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