秋が深まりつつある。散歩しながら見上げる山々の緑色の領域が、日ごとに狭まっている。私の住む集合住宅の近くの寺の駐車場の柿の木も、ほとんどの葉をすでに落とした。去年のこの時期、来年にはきっと世の中は平常に戻っていると思った。あれから1年、コロナ感染者はやっと急激に減少してきている。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ私のコロナに対する警戒心は施錠されたままである。
私の知人が先月84歳で亡くなった。私は74歳、コキシロウ(古稀+4)と名乗っている。知人の年齢まであと10年。やはりこのコロナによって奪われた私の貴重な2年間は、大きな損失である。一方、それ以前の何気ない日常の生活が、どれほど素晴らしいものであったかを思い知らされた。妻と二人だけの生活。それは妻の海外赴任で世界のあちこちを転々とした生活の再来のようであった。日本に居ながら、まるで見知らぬ海外の国で暮らしているようなのだ。家族や友人が訪ねてくれることもない。我が家に入った人は、みな工事や修理関係である。玄関までなら宅急便や郵便局の配達員も来ている。妻以外の人と酒を飲んだり、話したり、食べたことがない。
妻が勤務に出てしまえば、私は一人家に残される。ラジオを聴いたり、漢字パズルをしてkilling time(暇つぶし)しているだけ。やらなければならないことは、たくさんある。ワカッチャイルケドヤメラレナイ。何事もコロナの所為にしている。そんな自分を嫌悪しながらも時間だけはどんどん過ぎてゆく。子供たちに会いたい。孫のたちの成長ぶりを見てみたい。孫たちが出るサッカーの試合の応援に行きたい。友人たちとあのことこのこと話したい、尋ねたい。こんな食材を使ってあんな料理で友人たちをもてなしたい。欲求不満が募るばかり。
外に出るのは病院、歯医者、買い物に行くときだけ。体はあちこち不具合が出てきている。外に出ても気が晴れることはない。体に悪いが美味いものでも食べようかと思っても、コロナの感染が恐くて、店の前でやっぱり止めようと家に戻ってきて食べる。
足腰、特に筋肉の衰えを感じる。歩いていてもアメリカのバイデン大統領の歩き方に似てきたと思ってしまう。階段を上がっていくと、最上段にさしかかる頃に、脚はゾウの足のように重くなっている。
高校生の時、文化祭で所属していた英語班は、英語劇を演じた。私も端役で出演した。英語のセリフは、短いものだった。ドーランのようなキツイ化粧もしたように覚えている。父親の背広を借りて着て出た。私の父親は身長が低かった。腕の丈も股下の丈も短かった。でも父親を強く感じた。そんなことばかり覚えていて、肝心の劇の進行や他の出演者の事は全く覚えていない。ただ最後に老人が一人部屋に横たわって、外の音を聞いている場面が記憶にある。その老人の状況に自分がいるように思える。
好きな英国BBCのテレビドラマ『New Tricks』の中で「孤独な部屋に耐えられる男は幸せだ」(パスカル)がセリフの中で使われていた。私は孤独な部屋にいる。しかしそのことを幸せだとは思えない。まだまだコキシロウはヒヨッコなのだ。