団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

親の責任

2016年08月30日 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『真田丸』を毎週欠かさずに観ている。生まれ故郷の長野県上田を舞台にした物語であることも観る理由だ。加えて配役が良い。日本のテレビや映画の多くがつまらないのは、配役のまずさだと私は思う。同じ俳優がどこにも顔を出す。ちょっと売れっ子になると民放各社や最近NHKまでが同じような番組に同じタレントを出してくる。“今でしょう”の林修さんや池上彰さんが良い例である。私はそういう番組を避ける。それらは大量生産大量消費と同じで内容が金太郎飴のようになっているからである。私が良い番組良いドラマ良い映画と思うのは、まず配役が良い。日本では番組ドラマ映画に配役を誰が担当したかはまず出てこない。日本の芸能界は、政界と同じくいまだに旧態依然のしばりが支配している。やれジャニーズ事務所がSMAPをどうするのこうするの騒ぎはその典型である。

 『真田丸』の配役で真田昌幸を演じる草刈正雄、その妻薫を演じる高畑淳子の主役級も良いが、猿飛佐助を演じる藤井隆、豊臣秀吉の妹旭姫の清水ミチコ、真田信伊の栗原秀夫、直江兼続の村上新悟などの演技に魅かれている。

 8月23日高畑淳子の息子で俳優の裕太が強姦致傷罪の容疑で逮捕された。26日には高畑淳子が謝罪会見を開いた。150人もの報道関係の記者が集まったそうだ。ニュースで少しその質疑応答の様子を観た。質問した記者たちはまるで裁判官のようだった。私は疑問に思った。このような謝罪会見って必要あるのか。

 子の犯罪に対して親に責任があるのだろうか。法律的にはない。しかし他人の目がそれを許さない。中国、韓国、日本は謝罪の文化と聞いたことがある。謝り方にうるさい。水に流す、と言っても執拗に蒸し返すのが常だ。欧米のキリスト教社会や中近東などのイスラム教社会では、人は滅多に謝らない。キリスト教社会では法律に決着をゆだねる。イスラム教社会では神には謝罪するが人には謝らない文化が定着しているように私には見えた。

 会見での高畑淳子は母として謝罪し頭を下げた。それを記者たちは責める。すべての答を得ようとする。言え、言わないのは高畑淳子に誠意がないからだというかの如く。日本のマスコミは弱い者いじめに俄然高姿勢になる。ところが政府要人などへの追及は生ぬるい。フジテレビの大村正樹記者の質問には呆れた。

 高畑淳子の息子高畑裕太はテレビで何回か観たことがある。彼の俳優になったキッカケのコメントが「進学もできなかったし、就職もできなかったから」と言った。多くの二世タレントがこんな調子でタレントになる。親が子に親のコネで何とかできるならそうしてやりたいのだろう。派手な生活、ファンにチヤホヤされる快感。親は自分の子にもそれを味合わせたいと思うに違いない。手っ取り早く芸能界で名を馳せても、男ならだれの中にも摩訶不思議なテストステロンのようなホルモンが潜む。親は子にコネを使えても、子にテストステロンのようなホルモンの暴走を適切に制御する方法など教えられない。性犯罪を犯す可能性は誰にでもある。犯さずに済ませるには自分を制御する術を身に着けることである。人間の子育てが長く、成人するのは20歳であることは、それだけ子を社会に出すにはそれなりの訓練を積ませなければならない。大事な事を長い時間かけて子に教え込まなければならないということではないだろうか。1回や数回でなく体に染み込むように千回でも10年でも20年でも教え続けなければならない。だから子育ては人間の大事業なのではないだろうか。親なら誰でも子を猫かわいがりできる。だからこそ『可愛い子には旅をさせろ』『虎はわが子を千仞の谷に落とす』の諺のような勇気がいる行動が親に求められる。親は子が成人して社会に出た後、謝らなくてもいい言い訳しなくてもいい算段をしながら子育てに励まなければならない。生易しいことではない。親は成人した子の不始末に責任はない。そこまでの子育てに責任がある。

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