団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

カミナリとブラックボックス

2016年08月04日 | Weblog

  8月2日の朝 ピカッ ゴロゴロドッシャーーーンで目が覚める。夢にしては臨場感があり過ぎる。なぜならガラスがビリビリと音を出す。このところ朝になって目を覚ましても「さあ、起きるか」という気が薄れて来ていた。そんな倦怠感をカミナリは私から引きはがした。

 住む集合住宅は設計者の意向で雨樋が屋根にない。2日のゲリラ雷雨だと、まるで滝の裏側にいるようだ。2重ガラスさえ突き抜けて雨音が入りこむ。雨音だけでも恐怖だが稲光と落雷がさらに顔を引きつれさせる。

 それだけでは済まなかった。停電。私は書斎に駆け込んでパソコンの電源を抜いた。日本に帰国してから頭から“停電”という言葉が消えかかっていた。3.11東日本大震災の後、計画停電で1度だけ停電した。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアでの生活は停電との闘いだった。特にネパールでは毎日水道と電気が止まった。日本に帰国して水道と電気はあって当たり前になってしまっていた。

 2日の朝、短時間に3回停電した。3回とも幸いなことに数分で回復した。天気が悪い時の心配は妻の通勤である。テレビ、ラジオ、ネットのうち使えるものから交通情報と気象情報を得る。電車は正常運転されているようだった。とは言っても駅へ行って確かめるまではわからない。無事駅から妻は出勤できた。

 妻を駅に車で送り家に戻った。その日はブログの投稿日だった。雨も止みカミナリもおさまったのでパソコンの電源をつないだ。光回線ではないので私のパソコンの立ち上がりは遅い。私自身の脳の回路も元々のろいのでその点ではバランスがとれている。そして結局パソコンが外部とつながらなくなっていることを知った。電気さえ入ればブログの作成には支障がない。まだ7時だったので9時になったらパソコン119番に電話して来てもらうことにした。

 9時にパソコン119番に電話した。ところが停電とカミナリで多くの依頼が舞い込み今日中には訪問できないという。一旦電話を切った。すると10分後にパソコン119番から電話がきて11時に近くに来るので寄ってくれることになった。

 パソコン119番のお蔭で12時にはブログを投稿できた。ところが妻から私の携帯にメールが1通も来ない。普段「着いた」「ランチ食べています」「これから帰ります」は定期便となっている。来ないと何かあったのではと心配する。携帯のメール機能を使おうとすると「インターネットに接続していません」の表示が出る。もしやと思いタブレット、アマゾンのファイヤーテレビも点検してみた。なぜならパソコンも携帯もタブレットもアマゾンテレビも全て無線でインターネットと接続しているからだ。全部使えない。パソコン119番に連絡すると明日の午後になってしまうという。我慢して待つことにした。今は全て正常に機能している。

 電気が停電したことで私の日常は乱された。とにかく今のITとやら私にはブラックボックスである。なければ不便、あれば空気と同じであって当たり前。ストレスではあるが、私はこの素晴らしいITの恩恵には感謝している。

 都議会や国の政治の世界はブラックボックスだが、IT世界も同様、私にとってはブラックボックスだ。しかし悪用されない限りはYESを、泥臭く旧態依然な人間の醜さが作りだす政治と権力と利権のブラックボックスにはNOをつきつけたい。


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