団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

オリンピック狂想曲

2014年02月20日 | Weblog

  今回ハワイで期せずしてアメリカ人恩人Tさんと一緒に冬季オリンピックを観戦することになった。そこでアメリカと日本の国民性と文化の違いを感じた。Tさんは70歳代後半の日系3世である。第2次世界大戦中、全財産を放棄させられ家族全員が強制収容所に入った。その彼女の観戦態度にこれこそスポーツの楽しみ方だと感心した。

  実況は味気ないほど単調でもメダル獲得となると獲得者に関するバックグランドを詳しく放送して讃える。アメリカはやはりスポーツにおいても“アメリカンドリームを実現すれば複合民族国家での英雄”になれる国で、日本は日の丸を背負う“何事もお国のためにの意識が強制される単一民族国家”だと思い知らされた。

 アメリカのオリンピック代表選手はそれこそ地球上のあらゆる人種から出ている。建国以来、何の分野においても頂点に立って“勝てば英雄”つまりアメリカンドリームの具現者となれる。どの国、どの人種、どんな宗教の選手であれ、それは適用される。

 アメリカのテレビでの実況放送を観た。どの競技も淡々と放送されていた。お祭り騒ぎでもなく、選手はアメリカのためにというよりは個人のために闘っているようだった。70以上あったケーブルテレビのチャンネルでオリンピックの実況放送はNBC系列の2つだけだった。何しろ時差がある広大な国である。主要テレビ局のニュースでオリンピックの結果が伝えられることはなかった。テレビ局にもそれぞれの個性があった。

 日本を出国する時、正直ほっとした。テレビは明けても暮れてもオリンピックでだれだれがどうだのこうだのの芸能ニュースのノリだった。予選さえ終わっていない段階で金メダル有望などと煽りまくっていた。プロ野球も、やっとシーズンが終わったと思ったら、キャンプ情報の洪水のような報道合戦が始まった。やれ誰々投手が投球練習で36球投げボールが走っていた、などと訳の分からない、どうでも良いことを伝えているのと同じで私はそういう放送傾向が嫌いだ。

 スポーツで優勝者や勝者を讃え、英雄視することは当然である。今朝このブログを書いていると、女子フィギャアの浅田真央選手がショートプログラムで16位のニュースを知った。女子ジャンプの高梨沙羅選手も4位で終わった。これはある意味でメディアにつぶされた気がしてならない。期待するのは自然で何ら悪いことではない。応援するのもちっとも悪いことではない。しかし過度に騒ぎすぎることは、決して選手に良い影響を与えているとは思えない。一方オリンピックが始まる前、名前さえメディアが取り上げなかった選手の活躍がある。昨日スノーボードの女子パラレル大回転で竹内智香選手が銀メダルを勝ち取った。今朝のニュースでは浅田真央選手のショート16位のほうが竹内智香選手の銀メダルよりずっと大きく扱われている。日本にはジャパンドリームはないようだ。これでは日本のスポーツの将来は暗い。スポーツだからこそオリンピックだからこそ勝者を英雄と讃える、そういう環境が必要だ。競技前は静かにしている。結果を出したらそれ相当な評価と賞を与え、それこそ大騒ぎして讃える。

 ハワイでアメリカ人のTさんと一緒にオリンピックを観戦していて、競技そのもの、選手の健闘ぶりを観て、公平に応援する姿に感動した。2020年オリンピック、パラリンピックが東京にやってくる。そのころまでには日本のメディアが少しでも成熟へ向かい始めていることを望む。メディアの影響力は恐ろしいほど強大である。

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