団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

三連続 ヌカヨロコビ

2014年02月14日 | Weblog

 私の長女を預かって育ててくれたアメリカの恩人とハワイで5日間過ごした。楽しい時間はあっという間だった。彼女に空港まで送ってもらった。別れは辛かった。ハワイのカウアイ島リフエ空港からオアフ島ホノルル空港へは約30分だった。

 日本への乗り継ぎまで7時間あった。妻と市バスに乗ってアラモアナショッピングセンターへ行った。日本出発前から買うものを決めていた。調理用具専門店のウイリアムズ‐ソノマと書店バーンズ&ノーブル ブックセラーズでの買い物を済ませた。荷物が大きかったのでタクシーで空港へ戻った。

 少し早かったが日本航空のカウンターへ行った。カウンターに2人の女性係員がいた。私が口を開く前に、私の目がカウンターの前に貼られた紙を読んでいた。「キャンセル」の言葉がやけに大きく見えた。「本日乗務員の手当てができないために17:35発JL089便羽田行きはキャンセルされました」“嘘だろう”と20メートルはあるだろう高い天井を見上げた。「お客様、申し訳ございません。本日の便はキャンセルされましたので、明日の便にご搭乗していただくようになりました」「私はかまいませんが、妻はどうしても仕事の都合で帰らなければならないのです」「他の便に変更できないか調べてみますので、少々お待ちください」

 私たちの後から三々五々と乗客がカウンターに来るようになった。便のキャンセルを聞いて「やったー。もう一日ハワイに居られる」と喜ぶ若者たちが多い。日本人も世代交代し、物事の受け止め方がずいぶん変わってきた。来る人来る人みな静かに現実を受け止め、どこへ行くのか、どうするのかの私の疑問に後ろ足で砂をかけるように空港から出て行った。

  だいたいどこでも“少々”と言われると2、30分と私は経験上予測する。32分後女性がカウンターから20メートルぐらい離れたところで待つ私たちに笑顔で近づいてきた。「良かったです。全日空さんの便に2席確保できました。今書類を作りますので、それを持って全日空のカウンターへ行ってください」 私たち夫婦は両手を握り合って目を見つめあい小躍りするように「良かった。良かった。やはり早く空港へ戻って良かったね」とお互いの運の良さを祝った。

  全日空の羽田便への受付が始まった。列の先頭にいた私たちは意気揚々とカウンターの前に立った。5,6分経った。女性係員が襟に付けた小さなマイクに話しかけた。上司を呼んだ。ちょっと恐そうな女性上司が来た。「申し訳ございませんが、本便はすでに満席でございましてお客様の席はお取りできません。日本航空さまにお戻りなって事情をおはなしください。私どもはこの件に関して日本航空さんから電話さえいただいておりません」 言葉は丁寧そうだが、意地の悪さが、日本航空へのライバルとしての対抗心がメラメラと燃えたぎっていた。

  日本航空のカウンターに戻った。例の50歳近辺の優しい女性係員が、さらにいろいろ方法を探ってくれた。「ハワイアン航空で1席だけ取れました。お二人一緒でなければだめですよね」私「いいえ、妻だけでもいいので乗せてください」 妻も同意した。荷物を整理して妻が持ち帰らなければならない物を小さいほうのスーツケースにまとめた。女性が戻り「取れました。2席。離れて座るようになりますがよろしいでしょうか」 私内心で“貨物室でも、床に座れと言われても乗ります”と叫んだ。まあよくこの女性私たちのためにここまでやってくれるものだと感謝した。二人で全日空のときよりもっと幸運を噛みしめた。

  ハワイアン航空での手続きは全日空と違いハワイ独特のアロハとマハロの待遇だった。私たちは47番のHJという一番機内奥の席についた。機体が駐機場所を離れた。私たちは赤ワインで祝杯をあげようと手を握り合った。機長が「ブレーキの警告灯が点滅しているので機を駐機場に戻します。安全運航上、ご理解をお願いします」 握られた二人の手は汗ばんだ。20分後私たちは機内から出された。他の飛行機を飛ばすことになった。予備の同型機があったのは幸運だった。こうして3時間遅れでホノルルを離陸した。

  ヌカヨロコビを繰り返すことで二人の疲れは限界を超えた。無事我が家に戻れた。今回も二人の結論は「我が家が一番」で意見は一致した。

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