団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

機長「操縦室にネズミが・・・」

2014年02月26日 | Weblog

 香港の空港から離陸しようとしたネパール航空のカトマンズ行きのボーイング757の操縦席のコクピットでネズミが発見された。これが原因で出発が見送られた。詳しいことは分からないが、航空法で操縦室にネズミなどの動物が紛れ込んだ場合、飛行機の飛行は禁止されているらしい。このニュースを読んでネパールで暮らしていた時のことを思い出した。

 私が住んだネパールの家にはたくさんのネズミがいた。日本から連れて行ったシェパード犬はネズミを捕まえるのがうまく、よく捕まえていた。わざわざ見せなくてもいいのに、誇らしげに獲物を私の前に差し出したものだ。

  休暇で日本に一時帰国して1ヶ月ほどすごした。ネパールに戻って車を雇っていた運転手がエンジンをかけようとした。自家用車は休暇中ずっと納屋兼駐車場に入れてあった。何回も試したがウンともスンともいわなかった。バッテリーを調べたが問題はなかった。車をジャッキで上げて車体の下を見た。あちこちに垂れ下ったケーブルがあった。あきらかに噛み切られた跡がついていた。修理するのが大変だった。ネズミの生命力に驚かされた。

  日本から持ち込んだ2つのネズミ捕りを使うことにした。私が子供の頃、どこの家でも使っていたワイヤーでできたカゴ状のワナである。私が子供の時住んでいた家にもネズミがたくさんいた。夜など天井裏を駆け回るネズミの足音で眠れないほどだった。父親はネズミだんご、ネズミ捕り(板に強力なバネがついていて、バネの前にエサを置きエサを取ろうとするとバネが跳ね落ちネズミを抑え込むモノ、ワイヤーがカゴ状になっていてエサを中に吊るし小さな入り口からネズミが中に入ると入り口のフタがバチンと閉まるモノ、鳥モチのような強力なネバネバした接着剤が塗られた30センチ四方シート状のモノ)を駆使してネズミ退治をやっていた。ワナにネズミがかかると嬉しそうにバケツに水を入れ、ワナごとネズミを沈めて殺した。死んだネズミは庭に穴を掘って埋めていた。せっせと退治していても天井裏を駆け回るネズミは一向に減ることはなかった。

  ネパールでは私の父がやっていたネズミ退治を私がやるようになった。シェパード犬と私は競うようにネズミ退治に精を出した。日本のカゴ状のワナには多い時には一度に3匹のネズミが入っていたこともあった。妻は怖がって捕まえたネズミを見てもくれなかった。犬が私に獲物のネズミを見せたがる気持ちと同じ気持ちで妻に見てもらいたい気持ちだった。ネパールの家の外にはネズミはいたが、中では見たことがなかった。たぶん床が大理石で天井裏もなかったからであろう。

  先週ハワイから帰ってくる時、ブレーキの警告灯がついたというので飛行機を換えることになり2時間出発が遅れた。ネパール航空の飛行機が香港の空港でネズミ一匹のためにフライトがキャンセルされたのにも納得がいく。私の車のケーブルがズタズタに噛み切られたのを見ている。飛行機の複雑な配線をネズミが噛み切ったら安全な飛行はのぞめない。小さなネズミが大きな飛行機を飛ばさせない。あらゆる危険を取り除きできるだけ安全な飛行に航空会社は努力している。

  私がネパールに住んでいた時、ネパール航空はロイヤル・ネパール航空と呼ばれていた。王政が廃止されネパールの国家形態は大きく変わった。小さなネズミはネパールの国情がどう変わろうと強力な噛み切る本能を駆使して、今日も生き抜こうとしている。次から次とネズミ算式に増えて人間を困らせている。ネズミと人間の熾烈な生き残り競争である。

 ネパール航空の旅客機の操縦席にネズミが入り込んだというニュースを聴いて、ネパールで過ごした3年8箇月の生活とその間のネズミとの闘いを生々しく想いだした。今住む家にネズミの気配は、まったく感じられない。広い庭を走り回って、ネズミの捕獲を楽しんだ愛犬も、すでにこの世にいない。さみしいけれど懐かしい。


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