団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

魔がさした

2010年04月20日 | Weblog
 若林元農水大臣が国会で席を離れていた青木議員の議決ボタンを押した。この“代弁的議決行為”を指摘されると自民党議員としては異例の議員辞職が即発表された。若林氏は「魔がさした」と記者会見でうそぶいた。「信濃の国」を事あるごとに唄う同じ県民として聞き捨てならない。

 「魔がさした」を聞いて古い記憶が呼び戻された。高校のクラブ活動で所属した部の先輩が東京大学に合格した後、市内の書店で万引きした。この事件は、新聞にも載った。当然先輩は、東京大学の合格が取り消された。先輩の父親は、学校教師だった。厳格に育てられ、高校の成績も常にトップグループに入っていた。将来は外交官になりたいと後輩に話していた。その先輩が書店で千円もしない本を万引きした。優等生の先輩がなぜこんなことで自分の将来をメチャクチャにしてしまったのか、劣等生の私には理解できなかった。家で両親に先輩のことを話した。父親が「魔がさしたんだな、きっと」と言った。私が「魔がさした」を耳にしたのは、あのときが初めてだった。 ショックだった。私は、本屋が大好きで時間があれば本屋を歩き回っていた。学校の図書館や市立図書館には、たくさんの本があるのだけれど、本屋の本は独占欲を満たす摩訶不思議な魔力が潜んでいた。本は未知の世界への入り口だった。本が導く自分だけが浸られる空間に憧れた。

 私の本へのあくなき執着をみて、私の父は、私に「どうしても欲しい本があるなら、山崎書店のおばさんに渡して家に届けてもらいない。代金をその時払うから」と言った。父は、見事に私の万引きの芽をもぎ取った。あの本もこの本も欲しい。でも家の経済状態も知っている。私の心の闇で「誰も見ていない。今なら見つからない。抜け」と思ったことも数回ある。父を裏切ることはできなかった。父の配慮のおかげで先輩の二の舞を踏むことはなかった。誰の心の中にもすべての善と悪が棲むと云う。新聞に警官や裁判官でさえ、万引きしたり盗撮したとでる所以である。

 若林議員は、東京大学法学部を卒業して農林水産省に入省している。私のクラブの先輩も東京大学を卒業していれば、違った人生を歩んだであろう。先輩は、世に出る前に10代後半で魔がさした。若林議員は、大臣までつとめてこの世をこれでもかと謳歌し最後につまずいて本性をさらけだした。年金、退職金も国会議員退職者特権すべても付加される。後継者に自分の息子をちゃっかり決めている。「魔がさした」と言うわりに手回しがいい。小学校の3,4年で担任だった小宮山先生は、「始めよければ終わりよし、終わりよければ、すべてよし。最後の一段気をつけろ!」と教えた。何のことはない、いつも気を抜くなという訓えだった。

 信濃の国は長野県県歌と言われ、いつしか口ずさんでしまうほど長野県の人間の右脳に沁み込んでいる。4番の最後に“文武の誉たぐいなく 山と聳(そび)えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず”とある。若林正俊の名は、どう後世に残っていくのだろうか。

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