団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ドクロと十字架と女

2013年08月26日 | Weblog

  電車の中で気になる女性を見かけた。ぽっちゃり系で年の頃20歳後半から30歳代前半か。向かい合う7人がけの長いシートの私から向かって右端から2番目に、手荷物と共に1.5人分を占領して座っていた。黒い麦わら帽子、黒いショール、黒いワンピース、厚底で黒皮の編み上げ靴、黒いリュック、脇には黒いショッピングバック、手に黒い携帯電話。黒い身支度だけならどこにでもある。この女性はそれでは済まない。帽子を巻いているリボンは黒い皮でそこに銀色で十字架とドクロが交互にプリントされている。黒いショールとワンピースの裾は一列に数えられないほど多くのドクロと十字架が白く帯状に並ぶ。黒いリュックには絵も文字もないが、銀色の鋲が列をなす。黒い携帯電話には小さなドクロと鳥の羽で作ったカラフルな飾りが不気味に揺れていた。

 私はファッションに詳しくない。こういうのをコーディネートするというのか。それにしてもやりすぎでは。精神分析医が診たらどう解説してくれるだろう。常日頃キリスト教徒でもない日本人がむやみやたらと十字架のアクセサリーを多用しているのに違和感を持つ。十字架以上にドクロはできれば、自分の網膜に映したくないもののひとつである。日本ほど言論の自由、表現の自由が守られている国はないと時々私は思う。特に宗教的な戒律規制に鈍感であり無関心である。電車の中の黒ずくめでドクロと十字架だらけの女性も周りの人々から賛同されたわけでもないが異端視されることもなかった。私は好奇心で彼女にいくつかの質問をしてみたかった。①貴女はキリスト教の信仰をお持ちですか?②ドクロと十字架の組み合わせの意味は?③何が貴女にこのような身支度をさせるのか? 話しかけることができるはずもない小心者の私はいつものごとく妄想の世界に突入した。

 私の心の奥深くにある想いが長く居座っている。自分が死んで火葬される前に3DプリンターとレントゲンかCTを駆使して自分のドクロを見てみたいというものだ。火葬にすると頭蓋骨もほとんど崩れてしまう。火葬場で見た母も父も灰と微かな骨であった形跡しかなかった。人はだれでも頭蓋骨の上に筋肉と皮膚がついている。そのつき加減でやれイケメンだとか美女だと言われる。ドクロになれば皆同じだろうに、の抵抗がうずく。単なる怖いもの見たさなのかもしれない。私も黒一色の地に白いドクロと十字架を散りばめた女性と大して変わらない種類の人間なのかもしれない。

 17分間の乗車時間のほとんどを黒とドクロと十字架の女性のおかげで妄想夢想邪念を駆使して違う世界を浮遊できた。女性のように私が自分の夏の定番である短パンTシャツが真っ黒でそこにプリントされた模様はすべてドクロと十字架ずくめで今夜、夢に登場しないことを願って電車を降りた。

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