団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ショーケン

2019年04月12日 | Weblog

  ♪誰が何と言っても 気になんかするな 心配いらないさ 俺がいるからね♪ショーケンが自分で作詞して自分で歌ったDejavuの歌詞。3月26日に消化管間質腫瘍という希少癌のために68歳で亡くなった。荻原健一は、いわゆる不良少年、その後とっぽい若者、更にスキャンダルの多い危ない中年だと決めつけていた。私とは無縁の存在だと思っていた。

 NHKテレビ4月4日木曜日放送の『クローズアップ現代 独自映像“ショーケン”最期の日々』を観た。この番組は、彼が亡くなる少し前にNHKに彼が闘病した8年間全部で56時間に及ぶ記録を手渡したという。主に4番目の妻が撮影した。NHKに対して彼は、その記録を好きなように使って良いと言った。荻原健一をあこがれの芸能人として崇める一ファンではなく、死ぬ前の8年間の闘病を記録した癌患者として番組を観た。時々このような死ぬまでの闘病を記録された番組があった。私も今年の1月に心臓に異変を感じて、病院で検査を受けた。緊急のカテーテル手術を受けて、風船で狭窄を拡げ、ステントを入れた。年齢的にも71歳になり、いつ死んでもおかしくない。今回の番組で私は、もし私ならどう死に向かい合うかを考えた。まさに萩原健一は、私の手本となった。私が彼のように映像を残すことはない。何故ならその映像を観て、誰かの参考や手本になることがないからである。

  荻原健一という人に魅力を感じた。ただの芸能人ではないと思った。私は歌手としてのショーケンをあまり知らない。ただテレビドラマ『課長サンの厄年』や『冠婚葬祭部長』は、好きで録画して観た。ドラマの中で何かを要人に依頼する時、羊羹の下に札束を入れる場所がある箱の話があった。真実性があって喜んで観ていたのを覚えている。中々演技の上手い役者だとは、認めていた。

  その彼が亡くなる前に奥さんと沖縄旅行をした。亡くなる数週間前だった。ホテルのソファに横になってテレビを観ながら言った。「テレビの番組ってのはつまんねーな」「何観てもどうなってんだよ」「つまんねーの」 私も最近のテレビには彼と同じように思っている。でも彼は役者、つまりテレビに出る側の人である。その彼が観ている側の私と同じくテレビ番組に対して感じている。彼曰く、「自分の周りの人が何を言っても気にしない」「画面の向こうで観ている人たちのことだけ気にしている」と。これだ。今のテレビが受け入れらない原因は、番組を作る側のことばかり気にしていて、画面の向こうで観ている視聴者をないがしろにしているからである。だからどこの局でも同じ芸能人ばかりを使う。どこの局でも金太郎飴の似た番組になってしまう。

  8年間撮り貯めた記録の中にどっぷりつかり、番組が進むにつれ、私は彼と一緒に死に向き合う。彼には役者としての仕事が最後まであった。私は無職である。彼は強調した。生きるのは家族のため。自分は3人の女性を幸せにすることができなかった。4人目の妻のために生きる。遅かったがやっと答えにたどり着いたと。見事。あっぱれ。

  番組司会の武田真一が語った、「とっぽくて、陽気で、荒々しく、優しい…」と。紆余曲折、波乱万丈でも最後は立派だった。私も彼に学びたい。

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