団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

かば・カバ・河馬・hippopotamus

2017年05月29日 | Weblog

①    かば 上野動物園

②    カバ 旧ユーゴスラビア ベオグラード動物園 (写真参照 檻から出られなくなった巨大カバ)

③    Hippopotamus 英国 ロンドンZoo

①    小学生の時、父が私を東京の上野動物園へ連れて行ってくれた。当時東京へは汽車で7時間かかった。私はそこで初めて“かば”を見た。最初かばは檻の中の池の水に潜ったままだった。父はライオン、虎、象、キリンと色々な動物の名前を上げ、私を移動させようとした。私は頑として動こうとしなかった。このまま“かば”がずっと水の中にいられるはずはないと思った。息をするために必ず顔を出す。なぜなら少年朝日年鑑で“かば”の特集を読んだことがあった。父はどうしても動こうとしない私を“かば”の檻の前に置いていった。象を見たいと言い張る姉を連れて行ってしまった。私は一人じっと“かば”が潜む水を見つめていた。少年朝日年鑑には“かば”は1分から5分に1回息継ぎをするために水から顔を上げると書いてあった。“かば”の池は濁っていた。水の中に“かば”がいるという証拠はない。長い、あまりにも長い。でも私は絶対に“かば”を見ると決めていた。いつしか自分も息を止めていた。学校の体育の授業の一環でプールの水に顔を入れて、どれくらい長く息を止めていられるか競ったことがあった。私は1分近く頑張れた。あの授業の時のように頑張って待った。池の濁った水にあぶくがブクブクと出た。それからしばらくすると水が大きく動いた。そして“かば”の大きな鼻の穴だけが水の上に出てきた。穴が大きく開いた。でかい。皮膚はテカテカ。針金のような毛が生えている。目が見えた。その大きな目が私を一瞬見た。その時以来私は“かば”が動物園で一番好きな動物になった。それは今でも変わらない。

②    旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードの動物園にカバがいた。当時ユーゴスラビアは孤立し世界から経済封鎖をされていた。動物園の運営は困難を極めていた。どんな状況においても子どもたちとって動物園は、楽しい場所である。ベオグラード動物園のカバは、大きくなりすぎて檻から運動場と池のある外の施設へ移動できなくなっていた。NATOによる空爆が近づいていた。エサ代もままならぬ状態でカバの檻の改修はできない。巨大なカバは狭い檻の中にいた。やがて空爆が開始されることになり、私たちはベオグラードから日本へ一時帰国した。数か月続いた空爆が終わった。私は半年ぶりにベオグラードへ戻ると、最初に動物園へカバの様子を見に行った。カバも虎も動物はすべて空爆を生き抜いた。それからまもなくカバの運動場への出入り口も改修された。平和が近づいてきたと私は感じた。

③    妻の英国留学中、私が妻に会いに行った時、ロンドン動物園へ連れて行ってもらった。ロンドン動物園は、財政難で閉園が決まっていた。そこで初めてカバのフィギャーを買った。これを手始めに私はカバのフィギャーのコレクターになった。世界の行く先々で集めた。大英博物館を妻に案内されて、古代エジプトでカバは神であったことも知った。大いに納得。

 もうカバのフィギャーを集めることはやめた。テレビの動物番組でカバが映ると今でも嬉しい。私の前世はカバかとも思うが、ただのバカであることは疑いもない。

入手地:ハワイ入手地:大英博物館入手地:ネパール入手地:ロンドン動物園

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