団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

プリンス駅伝飯田怜選手と実業団

2018年10月23日 | Weblog

  10月21日に福岡県で開かれた「プリンセス駅伝 」をテレビのニュースで観た。画面に地面を四つん這いになっている女子選手が映し出された。音声はその選手が岩谷産業の飯田怜選手だと伝えた。飯田選手は両手両膝をアスファルトの道路につけてハイハイの姿で進む。次の選手にタスキを渡さなければ失格になる。残りは300mだと音声が言う。400mにも見えてしまう。飯田選手の膝から血が出ていた。大会役員らしき男性が伴走するかのように横に立ち、移動しながら飯田選手を見ていた。

 このニュースに多くの意見が寄せられたようだ。飯田選手が可哀そう。飯田選手の根性がすごい。監督はなぜ飯田選手を止めなかったのか。大会役員や審判は何をしていたのか。小心者の私は確かに飯田選手の膝の出血を見て動揺した。同情もした。と同時にそもそも実業団スポーツとはどういうものかという疑問に気が向いた。アメリカにマイクロソフトのフットボールチーム、GMの野球チーム、マクドナルドのバスケットボール、コカ・コーラのアイスホッケーチームとかあるだろうか。私は聞いたことがない。ネットで調べてみたが、やはりないらしい。実業団スポーツは、日本独自のものらしい。

 スポーツの世界では、選手はまず学校という括りに所属する。そこで頭角を現して活躍して認められれば、プロの世界に入ることができる選手がいる。これが世界では普通の流れであろう。日本には実業団スポーツという括りがあり、学校を卒業して、ある会社の社員になって、その会社のチームに所属してスポーツを続けながら会社にも勤務する。あわよくばプロから声がかかって移籍して本当のプロになれるかもしれない。

 スポーツの世界も甘くない。どんなに実力があっても怪我や病気で道を絶たれる選手は多い。有名になり活躍を続けられる選手は、少ないのが現実である。学生時代からスポーツに打ち込んだ選手の多くは、学業面では例外もあるが他の学生とは当然就職でも不利となる。プロになれても高収入を得られる保証はない。プロにはなれないがスポーツは続けたい。その願いを叶えるのが日本の実業団スポーツなのかもしれない。

 駅伝は日本発祥のスポーツである。世界に普及されていない。オリンピックの400mリレー男子が銀メダルを取ったようにバトンにせよタスキにせよ、なぜか日本人は個人がチームを組んで、その絆を生かして、人から人へ何かを渡すスポーツを好む。私も駅伝の中継をテレビで観だすと、どうしても最後まで観てしまう。アメリカ人の友人に言われたことがある。「こんなスポーツのどこがおもしろいの?」 私は答えに窮する。「…」

 世界にも類をみない駅伝というスポーツに私たち日本人は私たち自身の人生を重ねているのかもしれない。寂しい。悔しい。あいつは嫌いだ。どんな感情に振り回されようが、時間は進む。決められた運命(区間)を生きなければ、次につなげない。志半ばにしてバトン、タスキを止めなければならなくなる人もいる。それでも残った人は次につなげるために前に進む。

 飯田選手の健闘根性には感服する。しかしスポーツには規則がある。駅伝の規則を明確化する必要がある。それと多くの会社が実業団チームを作り、経費削減を理由に解散する。実業団チームに所属する選手にも、いつどこで身を引くかの見切り決断が必要なのかもしれない。

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