団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

初夏の魚群とアオサギ

2014年06月06日 | Weblog

 散歩の楽しみのひとつが川を覗き込んで魚を探すことである。散歩コースは川に沿っている。散歩の途中に魚が群れになって泳ぐのを観察できる場所が2箇所ある。

  1箇所は排水溝から川に排水が1.5メートルの高さから流れ込む場所である。流れ落ちる水の力で滝つぼのように深い。そこは川の本流ではない。約20メートル下流で本流と合流する。下水道の普及で排水溝の水もずいぶんきれいになってきた。そこの深みにたくさんの小魚がいる。

  もう1箇所は海まであと100メートルぐらいの場所に架けられた幅20メートルの歩道橋の上である。川と海に面する近くの下水処理場から処理された水が勢いよく川に流れ込んでいる。そこにも魚が群れをなしている。下水処理場といえばニオイが懸念されるが最近の技術は進んでいるらしく鼻が良い私でもほとんど嗅ぎ取れない。

  毎年5月初旬から6月にかけてアオサギが子育てをする。今年は7つがいがそれぞれの巣に数個ずつ卵を産んだらしい。卵の数は確認できていない。親鳥はせっせと私の散歩道に沿って流れる川で餌の魚を捕まえている。私はアオサギの親鳥が魚を捕まえるのを見るのが好きで、じっと立ち止まって観察する。アオサギは臆病なのか警戒心が強く私が10メートルぐらい近寄ってもすぐに飛び立って移動してしまう。それでも木の陰や建造物の物陰にうまく隠れると結構近くから魚の捕獲の一部始終を観察できる。

  アオサギにも魚を上手に捕まえられるのと下手なのがいる。アオサギは顔に表情がない。眼も冷たい感じである。捕獲に成功しても失敗しても一喜一憂したりしない。私はアオサギが見事に魚を捕えた時は「ヤッター」とか「ドンナモンダイ」のような素振り身振り表情を期待してしまう。ダメだった時は「チェッ」とか「シマッタ」の反応を期待している。結局いつも見学する側の私がアオサギの代りに大げさに一喜一憂を顔と動作で表す。

  感心するほど、どの親鳥も辛抱強い。流れの中に佇んで微動だにせず、長い時間立ち尽くす。獲物の魚を発見すると首と頭と嘴を電光石火、水中に突っ込む。魚を横掴みして首を起こして空高く上げる。横になっている魚を器用に縦にして、長い首の中にしまい込む。おそらく鵜のように獲った魚を数匹胃に入れ溜め、巣に戻ってヒナたちに吐き戻して与えるのだろう。こうして一日中ヒナのために魚を捕まえて巣と川を往復する。

  この川は6月8日に鮎が解禁となる。毎年解禁日の数週間前に養魚場から運ばれた鮎の稚魚が放流される。新聞にどこかの川で放流された鮎の稚魚がカラスの絶好の獲物になっていると写真入りで記事になっていた。まさにアオサギの子育てを支援するかのように鮎が放流される。ヒナたちはだいぶ成長して巣の中で立ち上がると親鳥と同じくらいになっている。あとは産毛が生え変わり、飛ぶことを会得し、川でエサの魚の捕獲を習えば、晴れて独立して新しい縄張りを求めてこの地を離れる。

  毎年繰り返されるアオサギの生態の一環を今年も観察することができた。若い頃はこんな風にじっくり観察できなかった。私は離婚後ひとりで子育てしたが、その前にアオサギや動物の子育てを観察していたなら、私の子育てに大いに参考になり励みになったと思う。皮肉にも順番が逆さまになってしまった。人間が自然から学べることはたくさんある。

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