団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

家なき女性びと

2020年01月10日 | Weblog

電車に乗ろうとホームに上がった。目の前に髪の毛がモジャモジャで服はボロボロ、手に大きな袋3つを持った女性が立っていた。みな彼女を避けて距離を置いて歩く。私も「一緒にならなければいいが」と思った。

 小学校3年生と4年生の担任教師だった小宮山先生の話を思い出す。小学校では3人の先生が担任だったが、小宮山先生以外の先生が話したことを覚えてはいない。でも小宮山先生の話はいくつも鮮明に覚えている。先生は講談師のように話が上手で心に響いた。

 『昔行基上人というお坊さんがいました。仏さまが、ある時この行基上人を試しました。仏さまは汚い物乞いに化けました。行基上人が前を通ると声をかけ、助けてくれと懇願しました。行基上人は背負って温泉に向かいました。物乞いが「体中のできものが膿(う)んで、ウジがわいて、痛うて、かゆうてたまらんわ。お坊さん、膿をなめて、ウジを吸い取ってくれへんかいな。ほたら少しは治るとおもうんやけど。」行基上人は、膿ただれたところを舐めうじを吸い取りました。行基上人が舐めたところが黄金色に輝き始め、物乞いは光り輝く仏さまに変わりました』

 教室は静まり返っていた。女子で泣きだした子がいた。男子の私でも気持ち悪くなっていた。なんで小宮山先生はこんな気持ちが悪くなるような話をするのだろうかと疑問に思った。小宮山先生は最後に言った。「人をその姿形で判断するな。その人が自分でどうすることもできないことで差別をするな」 心に残った。

 それ以来、物乞いの人や家なき人を見かけると、行基上人のことが頭に浮かぶ。そして自分に問いかける。「お前にできるか?やってみろ」 思ったことはきっと何百回もある。1回もできなかった。行基上人がいかに偉いか身に染みた。

 電車が到着した。私は乗り込んで優先席に腰をおろした。リュックから漢字パズルを取り出して解き始めた。何か異様なニオイが近づいてきた。あの家なき女性だった。大きな荷物を引きずるようにしていた。私の向かい側の優先席の前に立った。ズボンはあちこち破れていた。太ももの裏側、膝から下のふくらはぎ全部が見えていた。女性は歳の頃40歳代か。そんなことはどうでもいい。優先席近辺に誰も近寄らない。私もできれば席を移動したかった。そうしなかったのは、小宮山先生の話が鮮明に浮かんできたからである。

 女性は何と持っていた大きなビニールの袋からチラシのような紙を4枚取り出した。それを3人掛けシートに丁寧に敷いた。3つの袋の底を手で払って袋を紙の上に置いた。ひとつの袋からプラスチックの洗面器がこぼれ落ちた。女性は声を出した。「もう、また落ちる」話せる!日本語!私は行基上人のようには振舞えないが、この女性と話してみたいと思った。好奇心が聞きたいとうずいた。彼女の生い立ち、どうして家なき人なのか、普段の生活、どこで寝て何を食べ…止まらない。何も話せない。私が降りる駅に着いた。開いてはみたものの、ひとつも解くことがなかった漢字パズルをリュックに仕舞った。立ち上がった。

 彼女に自然に目がいった。お互いの目が合った。私はとっさにお辞儀をした。彼女はポカンとした顔で少し頬を緩めた気がした。小宮山先生に会いたいと思った。


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