団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

パリのアジア人狩り

2020年01月22日 | Weblog

  いまパリでアジア人狩りが横行しているとニュースを昨夜ベッドに入る前にネットで知った。ベッドに入って横の妻が寝入っても、私は体が火照るほど過去の嫌な思い出に眠気を奪われた。2時間が過ぎ、眠気どころかますます脳が怒りで覚醒してしまった。このままだと明日に影響すると思い、寝ている妻を起こして睡眠薬を出してもらい飲んだ。最近寝つきが悪くなり、妻から睡眠導入剤を進められたが、ずっと拒んでいた。限界、だと思い睡眠薬を飲んだ。眠った。

 なぜ私が覚醒して眠られなくなるほど興奮したのか。パリでの自分の経験と今回のアジア人狩りのニュースが私の記憶と重なったからである。パリでの思い出は、私がアジア人ゆえの差別だった。例を挙げれば、いくらでもあるが、挙げれば私は今夜も眠れなくなりそうなので抑えることにする。

 パリではスリにあった。今は金持ちと言われる中国人が狙われるそうだ。でもフランス人で中国人と日本人の区別がつく人などいない。当時、パリでは多くの日本人がスリに狙われた。地下鉄に乗り込んだ直後だった。混んでいて入り口付近に立っていた。身長2メートルぐらいの男が、私の前に屈みこんで、私の靴の甲を「ペタンペタン」と叩き始めた。私の全神経はその行為に集中していた。スリは3人のグループだった。私の両脇に立った男たちが私のポケットを探った。ズボンの後ろポケットに入れていた長財布を抜き、3人はまさに閉まろうとしていたドアからホームへ出た。しかし最後の男のオーバーの裾がドアの取っ手に引っかかった。ドアが閉まり電車は動き始めた。男は真っ青。電車の中、ホームからあらゆる音が消えていた。人々の目はコートの裾が電車のドアに挟まれたままの男に向けられていた。そいつが私の財布を掏った張本人だとも知らず私はドアの取っ手から男のコートを引きはがした。男はホームに倒れ込んだ。周りの人々の称賛の視線が私を包んだ。スリにやられ、そのスリの命を救ったと知ったのは、財布がないと気が付いたホテルでのことだった。当時私たちはアフリカのセネガルに住んでいた。財布の中身はセネガル紙幣で1000円くらいとクレジットカード。日本のクレジット会社に電話して即カードを使えなくした。被害はなかった。このスリ事件だって考えれば日本人狩りの一種なのだ。差別で嫌な思いをした数はパリが一番多い。あからさまな差別をするのは、フランス人だろうと思うが、移民のフランス語を話すフランス在住者のアジア人蔑視も見逃せない。

 パリ症候群という名の精神疾患がある。世界中から花の都パリに人が集まる。昔から日本の著名な画家たちの多くが、パリへ留学した。画家ばかりでなく、デザイナー、音楽家、ファッションモデル、料理人と多くの分野で人はパリを目指す。一般国民も何となくパリと聞くだけで“憧れ”や“羨望”を抱く。

 憧れや羨望を日本にいた時と同じようにパリに持ち込むとえらい目にあう。差別である。私は過去にパリに学んだ画家やモデルが差別の話をあまりしないことに違和感を持つ。現在、パリに来た日本人がパリ症候群に陥る人が少なからずいるという。憧れは、期待を膨らませるイースト菌である。パリに行きたいと一生懸命働いて、長い期間貯金をしてやっと夢が実現する。パリに到着。何か様子が変。そうパリは決してアジア人に優しくないのである。買い物する。店員に馬鹿にされたような態度をとられる。言葉が通じない。誰も優しくしてくれない。優しくしてくれるのは憧れのパリの人でなく、外国人。メニューまで暗記してレストランに入る。片言のフランス語を使うが通じない。ウエイターやウエイトレスに鼻で笑われる。フランス語の発音に鼻音があるので、フランス語を話せない外国人が馬鹿にされたと誤解することはあるのだが。ショックで憧れのフレンチ料理も喉を通らない。ついにはホテルの部屋から出られなくなる。パリの日本大使館の領事は、このような人々の相談救出に大忙しだという。

 私が住んだり訪れた国でフランス程自分との相性がないと感じた国は、他にない。アジア人狩りは他人ごとではない。フランスの文化文明は、敬い慕う。日本は今政府が先頭になって2020年の訪日外国人観光客を年間4千万人まで伸ばそうとしている。もちろん日本の若者の中に日本国内でフランス人狩りをしようなんていう不心得者はいないと思う。ここが両国の大きな相違である。誇りに思う。おもてなしの国微笑みの国であることは、素晴らしいことだ。しかし一歩外に出れば、日本人は有色アジア人に分類される。日本人を同じ人間として対等に接してくれる外国の人など10%いたら良いほうであると私は自分の経験から考える。日本人は、アジア人であることを自覚しつつ世界に出て行かなければならない。どんなに馬鹿にされようが差別されようが、外見は、日本人の誰もが自分の肌の色や容貌や背丈をもう変えることはできないのだから、ありのままで良い。ただ人間としては、どこの国の人より、今まで通りに『自身得度先渡他』(自分の事より他人のことを思い、優しく手を差し伸べる用意ができている境地)の心を持った国の人であって欲しい、と思うと同時に、お人よしな思い込みは、ほどほどにとも注意をしておきたい。

 


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