72歳コキジの隠居の身である私にピッタリの手仕事を見つけた。それは伊勢海老の身を殻から掘り出すことである。行きつけの生簀がある魚屋で訳アリの活きた伊勢海老を買った。妻は伊勢海老の味噌汁が好き。伊勢海老は図体が大きくても食べられるところは、ごくわずか。刺身にすると、その少なさに驚く。しかし身も美味いが、殻からはいい出汁がとれる。買って来た伊勢海老を家で、まず刺身にする。残りで出汁をとる。まだ熱いうちに、ハサミ、蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具、カニ割りを使って身を取り出す。伊勢海老はカニと違って脚が細い。だから面倒で中々厄介な仕事である。だから時間をもてあそぶご隠居さんには、いい暇つぶしになる。
妻は二枚貝アレルギーである。私の大好きな貝類を食べると体全体にアレルギー症状が現れる。それは見るも恐ろしい。小心者の私はただオロオロするだけで、苦しむ妻に何もしてあげられない。だから妻に貝類を口にさせないよう、日頃注意を怠らない。貝類といっても、貝類は魚屋で売られている貝殻が付いた貝だけが貝類ではない。気をつけなければいけないのは、出汁や調味料やレトルトパックのスープ類ソース類である。ホタテ貝の貝柱、特に干した貝柱は、いい出汁がとれる。少し高級な即席濃縮出汁の素などの袋や瓶には原料や添加物が表示されている。これは助かる。私は店でいろいろ手に取り、近眼の眼鏡を老眼鏡に掛け替えて、商品に目を近づけたり離しながら表示を読む。多くの商品表示において、大事なことは小さな文字である。周りの客は、「この爺さん、なんなの」と怪訝そうに、そして憐れむように見て、さっと視線をそらす。私は妻のアレルギーが出た時の苦しみをしっているので周りの目を気にしない。
妻は病院で二枚貝アレルギーと診断されてから、我が家では甲殻類の消費が減った。それでも妻は伊勢海老が好きだ。長野県生まれの私たちは、伊勢海老とは伊勢神宮の神様に献上する物であって、私たちは恐れ多くて口にできないと勝手に思っていた。伊豆半島の下田へ行った時、青木サザエ店の食堂で伊勢海老の刺身を注文した。店の人に「殻は味噌汁にできますが、どうされますか?」と尋ねられた。もちろん頼んだ。美味かった。私たちはその味噌汁が気に入った。
行きつけの魚屋にたくさんの活きた伊勢海老が入荷していた。顔なじみになった店員に「訳アリある?」と聞くと、ニタっと笑いをエクボに寄せた。「持ってけドロボー」とふざけて海老を包んでくれた。レストランや食堂で食べれば、伊勢海老は高価である。自分で調理すれば、それほど高いもではない。刺身を2,3日我慢すれば、この贅沢は許されると勝手に自分に言い聞かせた。
食材さえ良ければ、素人でも調理の良し悪しは、手間で決まる、は私の持論である。伊勢海老の身を出し終わるのに約2時間かかった。無心でどんな小さな食べられる身も見逃さない、の気持ちで集中してやった。手は伊勢海老の棘や固い殻でガサガサになった。終わった。達成感があった。
妻が帰宅した。晩酌で夕飯が始まる。伊勢海老の味噌汁に「美味しい」。この瞬間、私の手のガサガサは、スーッと消えた気がした。