団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜を見る会

2019年11月21日 | Weblog

  これから冬を迎えると言うのに、国会では「桜を見る会」で熱くなっている。私は毎年家で「桜を見る会」を開いている。あくまでも個人的な会である。私が招く人を選んで声をかける。会費はなく、招待である。そこが税金で経費が賄われる首相主催の「桜を見る会」とは違う。招く人数は10人くらい。家の前に桜並木があり、家の窓から桜を愛でることができる。飲んで食べて話して笑って、時々桜に目をやって過ごす。窓から見る桜並木は、このところの急激な温度の上がり下がりですっかり葉を落としてしまった。こんな季節外れの国会の議論にウンザリしているようにも見える。

  テレビのニュースで過去の首相主催の「桜を見る会」の映像が出た。首相の周りには、芸能人やスポーツ選手が嬉しそうに映っていた。有名になるには、どれだけテレビに露出するかで決まると言っても過言ではない。庶民にとって「テレビで観たことある」は、有名度の計測基準となった。政治屋と芸能人は、テレビで顔が放送される可能性が高い。その所為か政治屋の子供で芸能界に入る者が多い。政界も芸能界も有名人のおこちゃま達の約束された生活圏のようだ。小泉孝太郎、DAIGO、石原良純などなど。

  自称上級国民の方々は、勲章と肩書と家系とどれだけ有名な人々との交流があるかということを好むようだ。首相主催の「桜を見る会」は、招かれる客にとって箔をつける絶好の機会である。政治屋たちは“国民”をよく使う。彼らにとって“国民”とは自分たちの言うことを聞くであろう人々であって国民全体を指していない。実に曖昧な言葉である。

  「桜を見る会」は、昨日今日に始まったことではない。1958年に公的行事として始まった。すでに慣例となっている。ではなぜ今これほど熱くマスコミも野党も騒ぎ立てるのか。疑問である。テレビ新聞だって批判的に「桜を見る会」を報道したことはない。これだけ有名な誰誰が招待され、首相と親しく言葉を交わしたとお祭りのノリで報道していた。日本にはもう特ダネ記者がいないのかと疑う。各社横並びの記者クラブとして見解は、もう知りたくない。国民の一人である私がマスコミから知りたいのは、常に真実である。真実は、権力によって有耶無耶にされる。森友問題も獣医大学問題も。今回の発端が記者独自の取材によるものであったならば、まず権力との馴れ合いを反省して、自分の社の関係者で招待されたのは誰誰と、参加者の一覧表を発表するのも一案であろう。

  この国には聖域がある。悲しいことに聖域の壁を築き守っているのが役所である。本来なら報道機関がその聖域を打ち破るのが仕事なはずだが、長いものにしっかり巻かれているようだ。

  私が友人たちと催す「桜を見る会」は、来年もやる予定だ。有名ではないが、真面目に税金を言われるままに収め、犯罪にも染まらず、実直に生きて、余生をおくる仲間である。来年もきっと桜は綺麗な花を咲かすであろう。それを楽しみに、来たる冬を越せることを願う。

 

参考ブログ:私の2010年8月23日の『パーティ?』もお読みください。

  

 


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