団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

同じ時間に同じ事を繰り返す

2019年11月07日 | Weblog

  私はカナダの全寮制の高校へ留学して生活が変わった。長野県に生まれ、育った。教育はお寺が運営する保育園、公立小学校、公立中学校、県立高校へ家から通った。家では母親が炊事洗濯掃除など、すべて面倒をみてくれた。育った家庭は、貧しかったが、待遇は王子様のようだった。日本で高校を出て、どこかの大学に入っていれば、家を出て下宿か、アパート暮らしをしていたであろう。何もかも母ちゃんに頼っていたので、一人暮らしには苦労したに違いない。ことわざにある通り「他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ」である。カナダ留学する前、軽井沢でアメリカ人宣教師の家で、しばらく寺男のようなことをしてカナダ留学に備えた。これは今になって考えれば、カナダでの寮生活への良い準備になった。

 カナダでの寮生活は、朝6時起床、6時半朝食、8時半学校始業、12時昼食、1時午後授業開始、4時終業、1時間の学校奉仕、6時夕食 7時~9時自習時間 9時シャワー 10時消灯と日本の家で暮らしていた時とは違う規則正しい生活をした。入院していた病院から病院が作った弁当を持って高校へ通っていた頃とは別人のように健康を取り戻していた。寮生活に慣れてから学校奉仕の1時間の他にもう1時間増やして学費の軽減のための作業を加えた。朝5時に起きて、乳牛の乳しぼりとニワトリの世話を2時間した。勉強するために授業が終わると部屋に戻り夕食まで寝た。夕食後9時まで寝て10時の消灯時間が過ぎてから窓とドアに光が漏れないようにタオルやシーツで目隠しした。皆が寝静まってから3時まで勉強した。

 寮での規則正しい生活が、私を鍛え直してくれた。寮生活の良い点は、食事が3食きちんと摂れることだ。食事をきちんと摂ることは、生活で最も大切なことである。最初の結婚は破たんした。13年間のハチャメチャなヤモメ暮らしをした。44歳で再婚した。生活がまた変わった。妻は朝食をガッツリ食べる。私はやもめ時代朝食を摂ったことがない。二人の子供の面倒をみていた時、朝食を子供のために作ったが、自分は食べたことがない。こんな生活を続けていたら、家族が破滅してしまう。長男は県外の全寮制の高校へ入れ、長女はアメリカの友人一家に預かってもらうことにした。子供達には、食事をきちんと摂れる環境にいて欲しかった。

 我が家の朝食は、妻が支度する。私はいまだに朝が弱い。ラジオがまず5時少し前に入る。5時きっかりにけたたましく目覚まし時計が鳴る。私は渋々ベッドを出る。妻は寝ていたとは思えぬテキパキとした動きで活動を開始する。前の晩、どんなに酔っていても、朝にはピシッとしている。献立は毎朝同じ。同じ時間に起きて同じ朝食を摂る。

 ご飯は、コシヒカリの3分搗き。甘口の紅鮭の塩焼き、納豆、味噌汁、ヨーグルト、バナナ。妻のご飯茶碗はてんこ盛り。私のご飯は、茶碗に半分以下。歳を取るにつれ、小食になってきた。味噌汁も妻はお椀にあふれんばかりに入っている。私はやはり半分。子供の頃、母ちゃんは「味噌汁は体に良いから、汁は飲まなくても実だけでも食べな」を今でも実践。納豆に私はきざみ葱をたっぷり入れる。妻はネギが好きだけれど仕事柄朝は食べない。私は納豆にわさび漬け少々。焼きのり3枚をつける。

 最近思う。毎日同じ時間に同じことをして生活することが快く、楽だと。同じものを毎朝食べるのもいいものだと。以前はあれもこれもと食欲旺盛で、同じものより、もっと美味しく珍しいものを貪欲に求めたものだ。繰り返しが心地よく感じるのは、認知症の初期症状かな。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする