団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

赤いシリーズ

2019年11月11日 | Weblog

何故か赤い色、赤は赤でも真っ赤な、赤い色は、私を断崖絶壁に追い詰めるような気がする。まるで禁じられた色のようだ。

 すでに車を何台乗り換えたか。数えたことはない。しかし一台だけ真っ赤な車に乗ったことがある。自分ではとても気に入ったが、まわりからはひんしゅくを買った。毎回車を買い替える時、赤い車にしようと思う。だが結局赤に決められない。今乗る車は、黒。

 赤い色は、私にとって好きだと公言できない色なのかもしれない。だからこそ憧れる。オードリー・ヘップバーン、吉永小百合、山口百恵のような存在である。誰かに「好きな色は何色ですか?」と尋ねられて、「赤です」と答えたことは一度もない。「緑です」か「群青色です」と答えてしまう。そう答えながら、心の中で激しく自分を攻撃する。赤い色はそういう厄介な色になっている。

 還暦を迎えた年、妻と子供たちから赤いチャンチャンコを贈られた。そのすぐ後、私はデパートでパパスの真っ赤なジャケットを密かに買った。そのジャケットを着て、先輩夫妻と新宿の中村屋でカレーを食べた。先輩が「赤いジャケットですか。」ともらすように言った。狐の嫁入りの棘のようにその言葉が私の心に突き刺さった。それ以来、どうしても赤いジャケットに腕を通せないでいる。

 禁断の真っ赤な色も、車や服から離れて食べ物飲み物になると事情が変わる。誰に遠慮もいらない。子供の頃、駄菓子屋で売っていた貝殻に真っ赤なニッキの練り物を入れて固めた菓子、小さな瓢箪型のガラス瓶に入った真っ赤なニッキの液体に魅せられた。舌が赤く染まる。それを鏡で確かめる。保育園の帰り道、恋人のユリちゃんと見つけた蛇イチゴの真っ赤も忘れられない。食べたかったが、ユリちゃんは「ダメ」と言うので止めた。当時二人は結婚を誓っていた。ユリちゃんのほっぺも赤かったが、私の好きな真っ赤とは違う赤色だった。別々の小学校に入るとユリちゃんとは音信不通となった。

 真っ赤なフルーツ、ドラゴンフルーツ、スイカ、イチゴ、リンゴ。真っ赤な野菜、赤いルバーブ、ビーツ、赤かぶ、ピーマン。真っ赤な飲み物、セネガルのビサップ、カンパリ。真っ赤が私を喜ばす。

 大人になり、結婚して7年で離婚した。二人の子供を引き取って育てた。長男が他県の全寮制の高校へ長女がアメリカの友人家族に預かってもらい、一人暮らしになった。二人への毎月の仕送りに追われた。そんな中、テレビドラマ山口百恵の赤のシリーズが始まった。録画機を買って、仕事が終わって帰宅した深夜、録画したドラマを観た。タイトルの『赤…』が私の気持ちを鷲づかみにした。寂しさと切なさを、画面に映る山口百恵と耐えた。

 44歳で二人の子供が大学を卒業するまでと全力投球した子育てが終わり、縁あって再婚できた。妻の仕事の関係で海外赴任に同行した。転地療法のように13年間5ヵ国での海外生活は、私を生まれ変わらせた。各地で真っ赤な出会いがあった。真っ赤なフルーツ、ドラゴンフルーツ、スイカ、イチゴ、リンゴ。真っ赤な野菜、赤いルバーブ、ビーツ、赤かぶ、ピーマン。真っ赤な飲み物、セネガルのビサップ、カンパリ。真っ赤が私を喜ばす。

 妻の誕生日がもうすぐ来る。私は妻に真っ赤なバラを一本、誕生日に贈る。その真っ赤なバラに私は私の言葉にできない想いを託す。真っ赤なバラにしかそれはできない。

 


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