団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

忘れ,思い出す快感

2016年02月04日 | Weblog

  生前父は“段取り”の重要性を私に説いた。その影響で私は何か行動を起こす前に“段取り”を心がける。

 朝起床して寝室を出る。その時着替えを持って居間のソファに置く。書斎に入りパソコンを起動させる。オイルヒーターの温度目盛りを1から3に上げる。洗面所に移動。『お口クチュクチュ』のデンタルリンスを口に含む。そのままトイレに直行。クチュクチュしながら用をたす。洗面所に戻り口を空にする。冷たい水道水で手を洗い、手のひらに水をため目を水に当てる。体重計を持って居間に移る。パジャマを脱いで下着2枚だけになり体重を量る。計った数値をメモする。室内着を着る。これを毎朝繰り返している。繰り返しも10年以上続けると物忘れが激しくなっても体が自然に動いてしまう。

  以前、玄関の鍵をしたのかしなかったのか忘れて不安になり家に戻って確かめることが頻繁だった。東京農大の中西載慶名誉教授の講演会で教授がこの対策を話した。それを実践した。鍵するたびに「鍵したぞ」などと声を出すか、鍵をしっかり見て指をさして点検する。これを繰り返すと記憶が残り、途中で「鍵したっけ!」が「うん、したした」となる。モヤモヤがはっきりとした映像で甦る。

  今回の甘利大臣の口利き現金受け渡し事件にしても、裁判が始まった元兵庫県県議の野々村竜太郎さんにしても「記憶がない」とか「覚えていない」を多用する。政治屋の保身の常套手段である。これは老化による記憶障害とは異なる。嘘を隠す、罪を回避するか軽減するための策略に違いない。議員がこのような金銭問題を起こさないようにするには、声出し点検、指差し点検したらどうだろう。虎屋の羊羹の箱に仕込まれた現金や封筒に入れられた現金を指差して「眼の前の現金○○万円、これ大丈夫?警察よし、検察よし、次の選挙よし」と連呼する。これで記憶はバッチリ残る。相手が録音や隠し撮りするなら、倍返しで記録を残す。

  まったく政治や賄賂の世界との関わりはないが、忘れるという現象が私の生活の中で大きな存在となってきた。初めはこの現象は、私を気落ちさせ滅入らせた。だんだんと開き直れるようになってきた。0.1秒前に「そうだ宅急便の不在票。電話しなければ」と思い電話に向かって歩き出す。途中、ネジ巻壁時計の重りが下がっているのでネジを巻く。巻き終わった時点で宅急便の電話のことは忘れている。駅でどこかで会った人だと顔を見て思う。思い出せない。電車に乗る。二駅目で閃いた。「あの女性、いつも行くスーパーのレジの人だ」これはもう快感である。

  今では忘れることに初老時代より抵抗がない。不便で危険なこともあるが、何とか繰り返し点呼指差しメモ書きに助けられて乗り切っている。それよりも忘れたことを思い出せた時の快感を楽しめるようになった。買いたいと思う物が激減している。あらゆる欲が萎えてきた。食事も小食になってきた。目が悪くて本も長時間読めない。毎日同じことを同じ時間に繰り返す。そんな日常妻が出勤している間、ひとりで家にいて、あれを忘れ、これを忘れる。100忘れて思い出すのは3つか4つ。この快感がたまらない。


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