「これから私が言う通りにお手元のリモコンとアマゾン・ファイアー・テレビを操作してみてください。現在操作できる場所におられますか」「いません。移ります」
居間のテレビの前に陣取る。「はい、移りました」「まずリモコンから乾電池を取り出してください」 私は固定電話の子機を耳に当てている。リモコンを持っているが、空いているのは左手だけである。その左手だけでリモコンの電池のフタを開けようとする。もたつく。焦る。アマゾンの担当者に訴える。「電話を持って操作できないので、置いてやります。しばらく待ってください」
リモコンといってもテレビやエアコンのリモコンと違ってえらく小さい。釣り竿に使われる矢竹を立てに真二つにして切り口をプラスチックで埋め上下を斜めにスパッと切り落としたような形態である。小さい上に素材の黒いプラスチックがすべすべである。メガネを近眼用から老眼鏡に替える。リモコンの裏、まるで竹のような丸みである。片方の端に直径1.5センチほどの窪みがある。もう一方の端に小さな三角印とその下に線がある。観察するに電池を取り出せるような感じがない。まるで黒曜石を掘って作ったように一体化している。まず窪みを押した。ただ指が滑るだけ。三角印を押す。ウンともスンともない。降参。
「すみません。開けられません」 無言。その無言は、私の心の中で「あのさ、こんなこともできないの、じいさん」と反響した。焦れば焦るほどリモコンは石のように硬さを増した。諦めかけた瞬間、手品のようにツルツルの丸みを帯びたフタがずれた。
「開きました」を私は何かのクジの1等賞を引いたように叫んだ。「ではその電池を取り出して新しい電池に取り替えてください」 そんなこと聞いてないよ。電池って急に言われたって買い置きないよ。私は書斎へ行きあちこちの引き出しを開ける。なんとか新しい電池を見つけた。ところが電池が単三なのか単四なのか見分けが付かない。時間が過ぎる。心臓がパクつく。電池の交換はいまだに不得意である。電池が入っているところには+と-の印がある。あるけれど必ずそれは色が周りと同じなので見にくい。加えて老眼の私は細かい字や印が見えない。何とか電池を装填した。
それで終わりではなかった。「次にアマゾン・ファイアー・テレビを再起動してください。そしたら電源ケーブルをコンセントから抜いてください」 私は言われるとおりに一通りやった。しかし結果は以前の通りの反応でリモコンの操作はできなかった。私は諦めた。
ファイアー・テレビを勧めてくれた友人にも事前に確かめてもらった。彼もリモコン自体に不具合があるとの判断だった。これ以上不便な態勢で電話による作業は私には無理だ。 「この装置は私にはとても操作できません。あきらめます」 そう言って電話を切った。夜勤務から帰宅した妻に事の一部始終を話した。妻がアマゾンに電話した。2,3分でケリが着いた。「明日新しいリモコンを発送するって」
妻が交渉上手で、私がダメなのか。機械音痴、その上世渡りが下手。いったい私はどうすればいいのか。日進月歩の世間から取り残されたのは初めからわかっている。老兵は去りゆくのみか。ハードばかり進歩して、人間対応のソフトは決して優しくない。わからない人をわからせられる指導こそこれからの人間の発展の鍵となると、私は思うのだが。
7日の午後届いたリモコンは、正常だった。不良品を出荷したことになる。以前は商品に検査合格証などが貼ってあったが、最近はそれがない。法的な責任逃れの手段なのか。品質管理の徹底を望む。この数日リモコンに振り回された。こういう時代なのか、アマゾンさん。