団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年賀状

2016年01月05日 | Weblog

  謹賀新年

 

年賀状は出すのが面倒でも、もらうと嬉しいものである。海外で12年間暮らしていた間に自分から年賀状を書いて出すことはしなくなった。2004年に帰国してから段々にお付き合いが始まった。帰国した当初は数通だった年賀状も今では束になって届くほどに増えた。ずぼらな私は未だに届いた年賀状に対応するという礼を欠くことを続けている。

  元旦に届いた年賀状の束の中に去年まで毎年当たり前のように届いていた2通が含まれていなかった。いくら事前に喪中はがきで知らされていたとはいえ、年賀状の束の中にないと彼と彼女に対する喪失感で息苦しくなる。1通は享年44歳女性。もう1通は享年68歳男性、私と同年である。

  年賀状はもう出しませんときちんと宣言して知らせてくれた友人知人も多くいる。私ぐらいの年齢になるとその数は増える一方である。寂しいことであるが、群れを離れて一頭で終わりを迎える象のように孤高さを感じる。

  去年の年賀状の束の中から2通を取り出した。44歳の彼女の年賀状に「お元気ですか。こちらも変わりなく、Londonから帰国して5度目のお正月となりました。長男は中学2年、身長175cm。長女は4月から小学生です」とある。4枚の写真、母と娘、父と息子、息子と娘、バイオリンを弾く娘。「こちらも変わりなく」から4箇月後に子供二人と夫を残して急逝した。私は4歳で母親を亡くした。残された二人の子供に自分の経験を重ねる。旦那さんに母を失って途方にくれていた私の父親を重ねる。

  もう一枚の68歳男性友人の年賀状には「昨年春にロシアを卒業し、ベトナムへと転職し暮れに帰国しました。いつまで現役を続けられるかわかりませんが、今年は懐かしのミャンマーへ復帰する予定でいます」 それから8箇月後彼から電話が来た。「俺、大腸がんなんだって。今日から入院する。きっと治って戻って来るからお見舞いには来なくてもいいから」が最後に聞いた声になった。これまでに世界の各地からのメールを印刷した。なんと200枚近くになった。私は気難しいのとひねくれているせいで友達は少ない。そんな私でも大きな心で許容し兄のように守ってくれていた。

  ラジオから小林旭の『あれから』(作詞:阿久悠 作曲:鈴木キサブロ)が流れた。「♪昨日今日と 二日も同じ夢を見た 笑い泣いた あのころに乾杯 きみもおれも あれからどこで何した めぐり逢いの しあわせに乾杯♪」

  「めぐり逢いの しあわせに乾杯」に胸詰まる。そうだ逢えたことに感謝しよう。だからこそ年賀状のやり取りもできた。これから私もいつか誰かがこの2通の年賀状のように私がいなくなった後でも取り出して見て私を想ってくれるような年賀状を出そう。年賀状に懐疑的になっていたことを反省する。最後の最後まで妻と、私を受け入れてくれる友を大切にしよう。年賀状を毎年の私のその誓いの証明書として送ろう。


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