団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

口利き斡旋虎屋の羊羹

2016年01月25日 | Weblog

  『「甘利大臣に賄賂1200万円を渡した」実名告白』と週刊文春が1月28日号で記事にした。新聞でなくて週刊誌でこのような報道がなされることは、いかに新聞が新聞として機能していないかの表れかもしれない。

 週刊文春の記事によれば、甘利大臣は言い逃れができないほど、告発者に証拠を握られている。現場写真、音声、メモや領収書、さらにご丁寧にも渡した現金のコピーさえある。私は告発者が甘利大臣を失脚させるために入念に仕組んだのではという疑念を抱いた。

 今から30年ほど前、車上狙い遭い、塾の教室の賃貸契約のために準備した数百万円を盗まれたことがある。犯人の高校生が逮捕された。警察が高校生の布団の下から1千万円以上の金を押収した。私は警察署から呼び出された。言われたのは「盗まれた金を選び出してください。もし自分のでない金を取ると罪に問われます」だった。私が自分の金かどうかの判別がつけられる訳もない。後のことは弁護士に頼んで金を戻ってきたが、何事も確固たる誰をも納得させる証拠がなければならないと学んだ。その点今度の告発者は、用意周到に証拠固めができている。現金を必ず銀行でピン札に換えてそのコピーを取る。週刊文春にはそのピン札のコピーの写真が掲載されている。札の番号がきちんと写しだされている。完璧。

 そもそも今回の件は、国会議員の主な仕事のうちの有権者に依頼による口利き斡旋業務である。私も地元選出の議員に何回か口利きや斡旋を依頼したことがある。日本の社会には良きにつけ悪しきにつけ、国会議員、県会議員、市会議員に口利き斡旋を依頼することが多い。お寺へのお布施と同じようにその口利き斡旋への報酬額は決まってはいない。一応法律で禁止されても、世の中には必ず抜け道がある。口利き斡旋といえば反社会的組織の常套手段である。

 私の先の結婚を解消する時、私は二人の子どもの世話のことで頭がいっぱいで相手から離婚届に判を押すように要求されたが、応じなかった。なぜなら相手からのそして相手の新しい同居人からの2件の離婚請求の裁判所での審理は却下されていた。相手の親は地元の名士だ。親が総会屋を私の家に送り込んできた。なだめ、脅され、おだてられ、の繰り返しが数週間続いた。相手が求めたのは、離婚に関しての慰謝料の提示など事務的な手続きでも手段に嫌悪を抱いた。当時続けていた坐禅が効いたのか、私の心の中の整理も進み、遂には離婚届けに判を押した。

 結婚も離婚も責任はすべて当事者である二人にある。私の離婚があの口利き斡旋がなかったらどうなっていたかは想像がつかない。しかし離婚したことで私の人間修行は再出発への決め手になった。二人の子どもを大学まで出す、という大事業を成し遂げることができた。私は再婚して幸せになれた。子どもたちも家庭を持ち、親になった。今年は夫婦で頑張ってきた大きなローンも完済できるめどが立った。仕送りから解放された時と同じ喜びをヒシヒシと感じる。

 私の今は、虎屋の羊羹の折とも、ピン札のコピーとも何らの関わりもない。何事においても証拠を残す必要がない。そして何より毎日の日常に一切、誰かの口利き斡旋を必要としないことが、私の人生の集大成だと自負している。ここまでくる過程に問題はあったが、子どもたち、そして妻のお蔭でささやかではあるが頑丈な幸せを手にしている。


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