団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

台風4号

2012年06月20日 | Weblog

 マミーは小田原の新幹線ホームのベンチに私の娘と孫と一緒に座っていた。台風4号の影響でパラパラと雨が降り始めていた。到着は11時37分と娘からメールが10時ころあった。

 私の頭の中は、これからの5日間の食事のメニューで一杯だった。前の晩に数時間かけてメニューと行動表を作った。そして最後に買い物リストを作成した。11時37分到着なら11時30分までに入場券を買ってホームに向かえばいいと計算していた。娘からメールが入った。「パパ、ごめん。31分でなくて37分だった」

 急いで新幹線の下りホームに向かった。内心、娘の間違いに腹が立った。階段を数段飛ばしで駆け上がった。降りた乗客はもうだれもいなかった。7号車に乗っているとのメール情報で前方へ進んだ。ちょうど自販機の陰に3人はいた。

 最後に会ってから4年経った。疲れているようだったが旅の興奮がマミーを支配していた。荷物は宅急便で送ったと言ったが、中くらいのカート式のトランクを二人とも持っていた。まさか抱き合って再会をするとは。私の心にはマミーの骨が鳴るくらい強く抱きしめて歓迎の意を表したい気持ちはあった。遠慮した。ベンチからゆっくり立ち上がったマミーは、自然に腕を大きく広げて私を抱きしめた。もうだめだった。明るく迎えようというのに涙が流れた。マミーのニオイを鼻腔の奥に感じた。しばらく言葉もなく抱き合っていた。

 エレベーターに向かって案内しようと歩き始めた。マミーの歩き方に納得いかない何かを感じた。その疑問はお昼に何を食べたいか尋ねて現実となった。現在マミーは主治医に勧められてある食事療法をしているから、砂糖と肉類と化学調味料など一切口にしないと言う。食べるものを制限している。引っかかった。数回に分けて買って、その都度買った食品を駐車場の車に運んでトランクに入れた。あの食品のほとんどが使えない。事前に言ってくれればの思いがよぎった。しかしそれら全ての私の邪念は、後で私を苦しめることとなった。

 夕飯を早めに切り上げた。台風4号は猛烈な風と雨で住む町を襲った。マミーを寝室に案内して夫婦で後かた付けを始めた。食器を洗いながら、妻が質問した。「今日のお料理いつものあなたの味付けと違ったわね」 私はお昼に何を食べるかマミーに聞いたときの話をした。妻はそれ以上何も言わなかった。

 疲れて私は古雑巾のようになって寝ていた。話し声と家の外の風が吹きつける音で目が醒めた。妻は私に語りかけていた。眠れない時、妻はいつもそうする。独り言のようだが、間違いなく私に話しかけている。質問に答えは返ってこない。ほとんど99%私は意識モウロウの世界にいるのだから。その時は違った。しっかり聞いていた。「あなたはマミーさんが癌のステージ4(癌の進行具合の最大値)って分かったからあんな味付けやメニューにしたのね。私が聞いた範囲では、できる治療はすべてしたので、今は抗癌剤治療も放射線治療もしていない。だから主治医に勧められた食事療法だけなの」

 マミーは日本蕎麦屋で言った。「肉や砂糖を食べるということは、癌細胞にエサを与えることになってしまう」マミーの癌は奇跡的に消えたのでも完治したのでもない。それどころか全身に転移していて、治療の施しようがない状態で日本に来たのだ。孫の世話と孫の泣き叫ぶ声で会話が途切れ途切れになっていた。私の理解も十分でなかった。

 家の外では台風4号はまだ荒れ狂っていた。寝室にマミーを案内する前、私の怖くないかの問いかけに、マミーは台風に何の恐怖も感じないと断言した。「これが台風。いい経験ができた」と窓の外を見ながら言うマミーの胸に亡くなった夫リチャードの結婚指輪がクサリの先で光っていた光景が浮かんだ。午前0時のグランド時計の鐘が鳴り響いた。


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