団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ぎっくり腰

2010年07月23日 | Weblog
 私たち夫婦の晩酌は、ジントニックである。トニックウォターは、24本入りのケースごと買っている。飲み終わると空き瓶をケースに入れ、酒屋に買いに行く。

 7月22日、朝、妻が出勤する時、車のトランクにケースを入れた。午前10時過ぎ、むっとする熱気の中、車で出かけた。店の前の駐車場に他の車はなかった。車から降りてトランクを開けるダッシュボードの下にあるボタンを押した。トランクを開けようとした。開かない。もしかとガソリン注入口を見る。パカっと開いている。よくやる間違いである。運転席に戻り、ガソリン注入口を開けるボタンの隣りのトランクのボタンを押した。「カシャッ」と小気味良い音がした。今度は大丈夫と車後部に回り、トランクを開けた。両手でケースの縁を持ち、ケースを持ち上げようとした瞬間、「アギャー」と声を上げた。腰のあたりから脳に一気に衝撃が駆け抜けた。

 まさか。まさかぎっくり腰じゃないよな。嘘だ。だって右足の関節炎が治り、左足のクルブシの腫れがとれ、やっと2週間ぶりに普通に歩けるようになったばかりだというのに。誕生日を祝ってもらったばかりだぜ。頭の中に怨みつらみ呪いの言葉が渦巻いた。 なんとかケースを店内のレジのところまで運んだ。どう運んだのかは思い出せない。レジの女性が「大丈夫ですか?」と尋ねた。「降ろす時、ぎっくり腰になちゃったみたいです」と汗をふきふき言った。冷や汗なのかただの暑さのための汗だったのか。とにかく汗びっしょりになっていた。レジの女性「あとは店の者がやるので休んでいて下さい」と言う。親切が自分の不注意馬鹿さ加減に氷の刃のように突き刺さる。

 車を運転して家に戻った。体の曲げ方、力の入れ方によっては、痛みがまったくない。深く坐っていて立ち上がるときは激痛が走る。これが学習となり、立ち上がる時、先に恐怖が襲い、痛みが追う。家に戻り、妻に指示を仰ぐ、メールを打った。ベッドに横になると痛みもなく、いつしか寝入ってしまった。2時間あまり寝てしまった。起きようとするがベッドのどこにも掴まるところがない。動くたびに激痛が走る。15分くらいもがいて、やっとベッドの脇の机を使って立ち上がった。パソコンにメールの返事が届いていた。「歩ければ心配ないから、安静にして私の帰りを待ってください。私がトニックウォター買っておいてと言ったからだね。ゴメンネ」とあった。

 運が悪かった。老化は確実に押し寄せる。40肩2回、50肩2回。妻が言うように時間という名医が治してくれた。このぎっくり腰も“時間”名医が診てくれる。任せておこう。足で2週間の夏休みをとり、このぎっくり腰でさらに2、3週間の夏休みが加えられる。 妻は、駅からバスで帰ってきた。仕事で疲れ、家のぎっくり腰の夫の世話と迷惑かける。そんな私に「あなたは私に私も必ず通過する加齢による障害をひとつずつみせてくれるから良い勉強になるわ」と言う。「あせっても、放っておいても同じだから、放っておけばいいのよ」

 痛み止めを飲んで、コルセットを腰に巻いて、私はじっと痛みの消える日を待っている。

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