団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

身長

2010年07月14日 | Weblog
 サッカーワールドカップ南アフリカ世界大会で日本代表がカメルーンに1:0で勝った。オランダ代表には1:0で惜敗した。そして決勝リーグ進出をかけてデンマーク代表と戦った。結果は3:1で見事勝った。久しぶりに日本中が沸きあがった。停滞ムード一色だった日本が歓喜に浸った一日になった。

 デンマークの新聞が「日本代表の平均身長は、デンマーク代表より首一つ小さい。そんな小さい選手の集合チームに負けるはずがない」と書いたという。人はだれでも大きくて強そうな外見を求める。ゴリラの群れ、チンパンジーの群れ、セイウチ、象アザラシ。メスは、少しでも優れた子孫を残そうと、健康そうで大きいオスを探す。人間は、とっくの昔に群としての自然淘汰から離れ、恋愛感情や思惑や計略を優先した一夫一婦制の結婚という形態をとった。人種国籍民族により身体的な特徴が受け継がれる。遺伝とかDNA的特徴が綿々と引き継がれていく。

 オランダの古い集落の遺跡を観光したことがある。湿地帯に高床式に造られた家の入り口も天井もベッドも小さかった。女性ガイドが「現在のオランダ人の体格は、ずいぶん大きくなったけれど、昔は小さかったんですよ」と大きな体を寝室の小さな空間に押し込んで案内していた。妻と私は、「そうだったんだ」とちょっぴり安堵した。外国に住むと、どうしても日本人としての自分たちと訪れる国々の人々と人類学的、身体的比較をしてしまう。確かに日本人の平均身長は低い。私の父親は150センチ、母親は160センチぐらいだった。私はなぜか174センチまで伸びた。しかし父は、私よりはるかに運動能力に優れていた。

 私は、高校生の時、カナダに渡った。同学年45名中で最も身長が低かった。西洋人の意識の中には、身長などの体格と強健さで男性の優劣を決める傾向が強いと、まざまざと知らされた。拙著『ニッポン人?!』でも書いたように宣教師の息子にずいぶん日本人として苛められたのも身体的劣性が大きな要因だった。

 私の日本人の知人で身長が140センチの女性がいる。この女性が「他人は私を身長が低いと言うけれど、私自身、身長が低いからといって、不便を感じたことが無いのよ」と言ったことがある。私はとてもこの言葉に感動し、同感した。父親も同じようなことを言っていた。日本にいれば、まわりの平均身長が低いのでさほど気にならないことも事実だ。

 人間は、あらゆることで他人と自分を比べる傾向がある。そこから優越感、劣等感を勝手に持って、一喜一憂してしまう。身長が高くて、高学歴で、高収入がかつての未婚女性の配偶者に対する希望条件だった。そのことも影響して、最近結婚を望まない若者が増えている。つまり設定した条件の達成が困難だからという理由がある。『人は外見がすべて』と多くの人間が決めつけている。実は人間の心が、人格が、人柄が、信条が一番大切だと知っていても、目にだまされてしまう。

 サッカーを通じて、何事にも全力でぶつかっていく姿の美しさをあらためて再認識した。これから先、金に物言わせて、身長2メートルを越す万能選手を揃えたチームが出てきても、たとえ身長がバラバラであっても、国を代表する選手同士のチームとしての精神的連携、それぞれの身体能力、瞬時の判断力で戦うチームは強いに違いない。身長差を誇示したデンマークの新聞記者が、負けた後、どういう記事を書いたのか読んでみたい。

 オランダとスペインが決勝に進んだ。両チームとも身長だけのチームでなく、ビジャ、プジョル、イニエスタ、スナイデルのような小柄でも大活躍する選手を擁する。ステイデルは、かつて「ちびハゲ」と言った相手チームの選手を試合中反則行為で怪我をさせ病院送りにしたという。両国とも体当たりで持てる力を発揮して、素晴らしいサッカーを見せた。まさに決勝戦に相応しい試合だった。デンマークの記者のような幼稚な優越感を振り回す記事は、両国には似合わない。これぞ王者の風格である。

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