団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ミョウガ

2010年07月20日 | Weblog
 ミョウガが美味しい。子どもの頃、夏は頻繁に親にミョウガを採ってくるように言いつかった。庭の片隅にあるミョウガの藪に入るのが好きだった。母親がモミガラを撒いたり雑草取りをして普段からよく手入れしてあった。 

 食べられるモノの採集は、どうしてこう人をワクワクさせるのだろう。特にその味に魅せられている獲物には、遠い原始のDNAの疼きが脳の中を駆け巡る。ミョウガの藪の中に入り込む。親が私にミョウガ採りを言いつけたのは、子どもの体のほうが、適しているからだろう。小さなジャングルの中に全身を注意深く入り込んで、ミョウガを探す。モミガラをちょこっと持ち上げているミョウガの先が見える。興奮が高まる。わざわざ手をかけて育てているのだから、あって当たり前。養魚場で魚を獲るようなものである。それでも収穫狩猟は、嬉しい。ミョウガは逃げやしないのに、なぜか神妙に警戒してしまう。モミガラを除ける。親に教えてもらったとおりに、しっかり親指と人差し指でミョウガのくびれを押さえ込む。ぐっと親指の先に50%の力を加え、人差し指で押し返す。ポキッとミョウガが折れ、指に挟まれ全体の姿が見える。採ったミョウガを頭上にかざし、獲物をめでる。ジャングルの向こうにフキのジャングルがあった。大きく広がったフキの葉を夏の強い陽射しが突き抜けていた。小さな庭がまるでアフリカのジャングルのように思えた。私の好きな空想のような世界だった。

 ミョウガは特別な料理に使われることはなかった。母親がまな板の上で「ザッザッザ」と切り刻み、皿に盛られ、オカカがかけられ醤油をたらす。それだけのこと。週2回は米の配給制限でソーメンかうどんの日だった。ソーメンのつゆに刻んだミョウガが入れられた。子どもの頃、ミョウガが嫌いではなかった。でもできればミョウガでなく、肉や魚が食べたかった。今では糖尿病で食事療法を続ける身である。ミョウガとご飯と味噌汁でもご馳走に思える。子どもの時、嫌いだったり、食べられなかったモノが、今では美味しくいただける。歳の功なのか老化現象なのか。どちらにしても、ありがたいことである。

 今でも時々、ミョウガのジャングルでミョウガを探す夢をみる。歳とともに夢の中のミョウガの丈がどんどん高くなるのが気になるが。

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