団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

サッカー

2010年07月01日 | Weblog
 今回のFIFA南アフリカサッカー世界大会での日本代表チームの活躍を讃えたい。私は、サッカーの中継を実際テレビを観て、日本代表チームをリアルタイムに応援することができなかった。生まれながらの小心者である。オマケに心臓の冠動脈があちこち詰まっている狭心症を持っている。重い荷物持つこと、過度のストレスは、医者に固く禁じられている。

 今回の世界大会、日本は前評判もよろしくなく、岡田監督とチームはマスコミや熱狂的なファンの一部には、こき下ろされていた。そんな大衆もマスコミもゲンキンなものである。初戦でカメルーンに勝つと、第二次世界大戦開戦前の教師が敗戦で突然人が変わって、自分ずっと戦争反対論者だったと言い始めたように、手のひらを返したように、「岡ちゃんやめろ」コールが「岡さま」賛歌を謳い始めた。おそらく私は自分もそういう卑怯な人間だと自分で認めているから、熱く応援できないでいる。そうでなくても自己嫌悪の傾向が強い。これ以上自己を否定したら、自分という存在が消えてしまう。あの日本代表チームをこき下ろしたファンやマスコミの日本代表チームの快進撃のあと、何もなかったように豹変できる毛の生えた心臓がうらやましい。

 小心者の私は、実況放送や実際の観戦でサッカーの残酷さについていけないことが多い。ニュースで終わった試合の良いところ特集を落ち着いて見るしかない。サッカーは代理戦争だといわれる。旧ユーゴスラビアに住んでいた時、ベオグラードのスタジアムで旧ユーゴスラビア対クロアチアの試合を観戦した。まさに少し前まで実際に戦闘状態にあった国同士である。スタジアムのあの雰囲気は、ローマ時代のコロシアムの奴隷と猛獣の戦いの、奴隷を応援するか、猛獣に加勢するかのどちらかの殺気であったかもしれない。その試合中、電力事情の悪さでスタジアムの照明が一斉に停電で消えたときは、身の毛がよだった。それ以来サッカーをただのスポーツとして見る以外、応援もずっと控えめにすることに決めた。

 私にとって、サッカーはずっと観戦だけのスポーツである。それだけでも満足している。まずスピード感、11人のチームとしての何が出てくるかわからない面白さ、足と胴体と頭でしかボールを扱えない不自由さ、あの広いサッカー場を前半後半に分けて各45分間走り回る体力への畏敬、年齢の所為かボールが大きく目で追える楽しさ(野球、ゴルフのボールを最近画面では追跡不可能)、身長や体格も大切だが、どちらかというと体力と運動能力ととっさの判断力が見所で、かつてのマラドーナにしても今回のメッシやビリャにしても大きな敵方に囲まれ、小さな体でグイグイゴールに迫り、豪快にシュートするのを見る痛快さがある。格闘技のように激しいスポーツだが、規則に守護され、審判の的確、厳正な判断があれば、観客はますます引きこまれてしまう。

 今回の南アフリカ大会、開催前の不安をよそに順調に試合が消化されている。アフリカへの先入観や偏見が、こうして時間をかけ、経験を踏むことで少しでも解消されることを願う。日本のマスコミには、大会前の岡田ジャパンに対するバッシングと南アフリカに対する失礼な報道を謙虚に猛省して欲しい。南アフリカの人々の大会を支える陰の働きに敬意を表し、これからのアフリカの発展に大いに貢献して欲しいと願う。

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