年金問題:転記作業、外国人がミス連発 50人の派遣打ち切り
コンピューターに未入力の古い厚生年金記録1430万件などの手書き台帳からの書き写し作業で、昨年12月に派遣会社から派遣された中国籍などの外国人約50人がミスを連発し、社保庁が途中で全員の作業を打ち切ったことが分かった。
毎日新聞 2008年1月31日 東京朝刊
何かと「中国もの」が批判される今。たしかに冷凍食品の農薬はいたってまずい。怖くなってわたしも、ストックしてある冷凍食品を全部チェックしてしまった。
しかし、今回のこの転記ミスに関しては、働いていた中国人を含む外国人の問題ではなく、彼らを派遣してしまった派遣会社側が悪い。誰が外国人の派遣にゴーサインを出したのかは知らないが、とにかくこの担当者は、「名前を含む固有名詞は、言語に対する強い母国語感覚とその母国語を使う環境に長年身を置いた経験がないと、なかなか正しく識別できない」ということまで、考えがいたらなかったのだろう。担当者にそのように思いをめぐらせるだけの能力があり、かつ実際にはそう判断する余裕がなかったり、担当者レベルではわかっていてもどうしようもなかったのだとしたら、これは派遣会社の体制ややり方に問題があることになる。
さて、「言語に対する強い母国語感覚とその母国語を使う環境に長年身を置いた経験」と書いたが、まずは後者の「母国語を使う環境に長年身を置いた経験」とはどういうことかというと、子供のころから知り合いになったり、または名簿などを通じて知る人の名前のほかに、たとえば:
「すみません。この担当者って『コハラさん』? 『オハラさん』? 『オバラさん 』?」
「ハットリです。『フクベ(服部)』のほうではなくて、漢数字の『八』に鳥取の『取』と書きます」
というようなやりとりによる経験等のことだ。こうして、頭の中にものすごい数の名前がストックされる。そのストックは頭の中でデータベースされていなかったとしても、わたしたちは過去に蓄積した知識や経験をもとに、総合的に判断できる。
だが、こういうことは日本語がネイティブでない人間には至難の業だ。それを考えずに外国人を送ってしまったほうが悪い。というわけで、派遣された外国人は正当な報酬を派遣会社から受け取る権利があるのである。社保庁がフルキャストに支払うべきかどうかは、また別の話だ。なにしろ、国民の税金だぜ。
わたしが「固有名詞の識別はノンネイティブには難しい」とかなり強く信じているのは、過去に起きたある出来事をいまも良く覚えているためだ。
昔、派遣でお世話になった米国系の会社の話だが、そこでは日系ブラジル人が正社員で3名働いていた。母国に帰れば彼らはエリートの部類に属し、そして日本語はプライベートでもビジネスでもペラペラ。もちろんそれなりに日本語のビジネス文書も書けた。
そのうちの一人がわたしと働くこととなった。わたしが配属された部署は、この部署だけで顧客データベースを作ろうとしていた。なぜかというと、企業全体がグローバルにあるERPを導入していたのだが、日本側から見るとどうも本社の設定した入力項目だけでは、日本のきめの細かい顧客管理事情には合わなかったからだ。しかし、本社は「日本側だけで勝手なことをやってもらっては困る」と、多少の変更ですら嫌った。そこでここからCSV形式でデータをもらい、それを元に4th Dimensionで「使える」顧客管理データベースを構築しようとしていたのだ。
このプロジェクトには、データベースに明るい日系ブラジル人のA君に白羽の矢が立つことになった。だが彼は他はまったく問題がないのに、データ内の固有名詞で引っかかってしまった。元のERPソフトの日本語で入力されていた「住所欄」と「氏名欄」(企業名、部署名、担当者名等)には、読み仮名は入力されなかったためだ。日本語の場合固有名詞に「読み方」がないとデータベースとして機能しないのだが、A君にはその読み方がほとんどわからない。フルネームや住所をどこで区切っていいかもわからない。
日本で生まれ育ち、標準的な日本人より読書量が多いであろうわたしですらも、振り仮名なしの住所・氏名の解読には苦労する。ましてや外国人では。というわけで、もとは陽気なブラジリアンのA君は、かわいそうにみるみるうちにうつ状態に陥った。悩みに悩んだ末、ついに母国に帰ることを決心し退職届をだしたところ、もとの陽気なA君に戻った。わたしがその会社に派遣されたのは、取り急ぎA君の仕事をいったん引き継ぐためだった。
次に前者の「言語に対する強い母国語感覚」のことだが、これを考えるために最初に引用した新聞記事の中ほどの一部を引用してみよう。
だが、田中昭という名前を「田」「中昭」と書き写すなど、姓と名の区分がつかないミスが多発。社保庁は全員日本人にするよう要望し、1月末までだった派遣は12月20日で打ち切った。誤記された記録は修正したという。
このくだりを読んだ多くの日本人はあきれ返っただろう。なぜ、「田中昭」が「田中 昭」と判断できないのか? こんなことは当たり前ではないのか?、と。しかし当たり前に「田中 昭」と判断できるというのは、実はかなりすごいことだ。
わたしたちは「田中」姓がかなりよくある苗字だということを知っている。だからまずほとんど疑念を持たず、姓は「田中」だと確信する。しかし外国人にはわからない人が多い。
それからもう少し注意深く考える人も、「田中」ではない可能性を考える。田英夫氏に代表されるように「田」という姓も存在する。
そこで姓としての「田」の可能性を考えた場合、ここで判断の基準となるのは「昭」という感じだ。わたしたちはこれまでの経験から、昭和生まれに「昭」一文字の「アキラ」さんが多いことを知っている。一方、「中昭」という名はほとんどか、おそらくはまったく見たことがない。そこからこの人物の名前が99%の確率で「田中 昭」であり、しかもかなりの高率で「タナカ アキラ」であろうと判断する。
しかしながら、ここで「中昭」という名づけが不可能というわけではない。わずかな可能性だが「タダハル」「タダアキ」「ノリアキ」「ヨシアキ」「ヨシハル」等の可能性がある。
「田中昭」以外の別の人名でも考えてみよう。
「古谷野大」という氏名が書かれていたとするとする。これは昔、わたしが実際に「どう切るのか」「どう読むのか」とちょっと迷ったことのある名前だ。
「野大」という名はあまり聞かないので、「古谷野 大」である可能性が高い。姓が「古谷野」だとすると読みは複数ある。「こやの」「ふるやの」「こたにの」「ふるたにの」のどれかであろう。
苗字が「古谷野」だとするといわゆる「下の名前」が「大」が名前で、この場合には「だい」「まさる」「たけし」「はじめ」「たかし」「ひろし」「ふとし」「ゆたか」等の読みが考えられる。お役所は名前に使う漢字の種類にはうるさくても(人名漢字・常用漢字)、名前に使った漢字の読み方には結構ルーズだから、他にもいろいろ読み方があるかもしれない。
しかしながら「古谷」という姓もかなり多く存在するので、「古谷 野大」である可能性も完全には捨てきれない。この場合には、「こや」「ふるや」「ふるたに」等の読みが考えられる。(また逆に「フルタニ」とカナで書かれた姓があったら、その漢字はこの「古谷」のほか「旧谷」「布留谷」である可能性がある。)
「野大」という名は一般的な漢字の組み合わせではないものの、「広い野原のように大きくな人間になって」との意味から名づけられる可能性がないわけではない。このばあいの読み仮名として「なおひろ」や「ひろはる」あたりが考えられる。
そのとき、わたしは直感的に「古谷野大」は「古谷野 大」であり、読み方は「コヤノ」だと判断した。中学時代の同級生に「コヤノ」と読む「古谷野さん」がいたため、この読み方が普通だと思っていたためだ。でも白状すると、実際は「フルヤノ」さんだった。
人の名前は難しいのである。それを間違いなく写すのは高時給に値する。今回、派遣されたのが外国人だった理由は、おそらく時給が日本人の基準から考えるとあまりにも安かったとういうことがありそうだが、転記ミスが許されないものの転記の仕事には、通常より高い報酬を支払うべきであろう。
ところで、わたしが見たかわいそうなA君の話だが、彼の退社後に彼が入力した箇所をみたら「武田薬品」が「ブダヤクヒン」に、担当者名の「服部」が「フクブ」なっていた。そりゃあ、故郷に帰りたくもなるよね。
コメントありがとうございます。
こちらは当時、派遣企業から低い時給で社保庁の仕事の依頼が大量に出たらしい、と、評判になりました。なんでそれを知っているのかというと、知り合いが大手派遣会社からその仕事を紹介されて、「人を馬鹿にした条件だ」と、怒り狂っていたからです。
コメントありがとうございます。
こちらは当時、派遣企業から低い時給で社保庁の仕事の依頼が大量に出たらしい、と、評判になりました。なんでそれを知っているのかというと、知り合いが大手派遣会社からその仕事を紹介されて、「人を馬鹿にした条件だ」と、怒り狂っていたからです。
肉体的には楽なのでしょうけど、時給は普通でしたよ。
どこにも年金どころか省庁の名前もありませんでしたが(求人元は派遣会社)。